ニューヨークの「カーネギー・ホール」がオープンしたのは、1891年5月5日。このこけら落とし公演に
 
ゲスト指揮者として登場し、ニューヨーク・フィルを指揮して自作を披露し、大喝采を浴びたのは、何を
 
隠そうチャイコフスキーである。あらゆる芸術の最先端を行くニューヨークにあるこのホールは、
 
クラシックのみならず、ジャズやブルース、さらにはロックの音楽家たちにも開放されており、
 
「音楽の殿堂」と呼ばれている。イメージ 1
 
当時、チャイコフスキーは51歳、円熟した時期を
 
迎えていた時であり、注目度も高かった様だ。
 
ところが、この遠征旅の途中でチャイコフスキーに
 
予期せぬ訃報が届いた。最愛の妹である
 
アレクサンドラが亡くなったとの知らせだった。
 
チャイコフスキーは14歳で母親を亡くし、青年期に悲しい思いをした。その上に妹までも先に他界した
 
のでは、その心境は察するに余りある。もともと、精神的にはそんなに強いようには思われないし、
 
現にうつ病を繰り返していたようだ。ところが、アメリカでの歓迎ぶりは相当なもので、チャイコフスキー
 
はかなり驚いた様子だったらしい。お陰で気が紛れて、公演は成功裏に終わったようだ。
 
ここから暫く、個人的な話をしよう。数年前だが、勤務先の会社の永年勤続表彰で得た特別休暇を
 
使い、家内と2人で11月にグアムに旅行に行った。旅行自体はトラブルもなく、多くの思い出を作り、
 
楽しい雰囲気の中、JAL機は関西空港に朝の7時30分頃に到着した。それから自宅のマンションに
 
戻って30分間も経っていないときに電話が掛かって来た。掛けてきたのは母親だった。海外旅行の
 
ことは言ってあったので、無事に帰国できたことを確認するため、電話を掛けてきたかと思って答える
 
と、声が妙に暗い。今朝の7時20分頃に兄(長男)が亡くなったと言われた。7時20分と言えば、丁度
 
関西空港に着陸している最中である。早速、新幹線に乗り実家まで吹っ飛んで行った。家に着くと、
 
電気も付いていない暗い部屋で母はうなだれていた。自分より子供が先に他界した事に酷くショック 
 
を受けていた。そんな母に元気を与えつつ、レンタカーを借りて告別式の会場の予約だとか、位牌の
 
準備、僧侶への読経のお願い等を行った。実は、私が小学校2年生のときに父親を事故で亡くした。
 
母は、市役所に勤めるなど苦労して私達兄弟を育てようとしたが、周囲に再婚する事を強く勧められ、
 
2年後に再婚した。事故により、母は、最愛なる伴侶を失い、この時、長男も失ってしまったのだ。
 
チャイコフスキーと母は境遇に共通点がある・・・そう思えた。
 
だからと言う訳ではないが、私は母さんを大切にして楽にしてあげたいと強く思っている。でも、海外
 
赴任中でもあり、仮に日本にいても住居は実家から遠く離れた東京にあるし、中々思い通りに行か
 
ないのである。これ以上は極めて個人的なことなので書かないが、人生は思い通りに行かないし、
 
思いが届かないことも多い。
 
嫁と姑の関係もそうかもしれない。ある嫁が姑に優しく面倒を見ているのに、姑に「私の財産が目当て
 
なのか?」と冷たく言われショックだった・・という話を、近い親戚から聞いたことがある。悲しい事だ。
 
皆さんは、自分の誕生日はどう過ごしているだろうか?パーティーも良いし、家族団欒も良い。
 
私は既に歳を取って、誕生日が嬉しい歳ではもうなくなっているけどね・・。
 
私は、必ず母に電話する事にしている。この世に生んでくれた母に感謝するためだ。