想定を超える台風がやってきたり、
深夜に大地震がやってきたり。
その当事者となられている方には、心からお見舞い申し上げます。
私もこの10年間で、
大切な人が目の前で倒れたり、
自分や自分の家族が被災をしたり
「こんな状況から何をどうやって立て直してったらいいんだろうか」
途方に暮れる経験もしてまいりました。
今このブログを書いているこの私が、
関西に、そして北海道に向けて
今すぐ直接何かできることというのは
極めて少ないというふうに思っています。
「大丈夫?」
ってメッセージを送りたいところですが、
携帯電話の充電すらままならない状況下で
「善意とは何か」を改めて逡巡しておるところです。
そして、ここで
自分の想定を超えるようなことが
自分や大切な人の身に降りかかってきた時に、
何を行えるのかということを
少し整理したいと思っております。
こうした自然災害が起きるたびに、
「もっと備えを!」と
準備をいっそう行うことの必要性が説かれます。
このことは間違ってませんし、
今のところ台風が、
そして大きな地震がきていない関東に住んでいる私にとっても
何かの備えをしておくということは大事だろうと思っています。
しかしながら
台風と地震の準備をしたからといって
明日自分の身に、
例えばその他の災害に巻き込まれる可能性について
それを完全に排除するのは難しいところです。
毎日の人生にベストを尽くしつつも、
それをさらに上回ることが来ないとも言えない、
これが、未来のすべての予知をできない
人間社会においての厳しい現実です。
だったら、
それを上回るようなことが起きた時に何をどうするのか…。
仮に、残念にも起きてしまった、
想像しえない事態を前に、
100%は達成できなかったとしても
取れるベストの選択肢は何かということを
「冷静に」見極めて行動をとること…。
「主体的に選択できる」力を信じ、備えておくこと。
それが一番大事かなという風に思っております。
過去、
目の前で倒れた私の上司を救急車で運ぶとした時に
搬送先が決まらなくて
慌てていたのはむしろ救急隊のほうでした。
もしあの時私が、
同じように救急隊員と慌てて、
そして感情的に
救急隊員と喧嘩沙汰にでもなっていたら
一番大事な
倒れた人命への治療が遅れる。
こういった事態を招いていたかもしれません。
この事案の前に経験していた、
私にとって「いくつかの心臓が止まりそうな出来事」のおかげで、
「最悪の状況下に見えるようなさなかで、選択できる最良のチョイス」は何か?
と考える癖がついたのかもしれません。
冷静になると、
おのずと選択肢が見えてきます。
不思議なことですが、
感情を越えていくと、
確信的な道が現れてきます。
喧嘩ではなく、
争いではなく
冷静な選択肢ができると、相手に提案すらできます。
先の救急隊の方にも提案を受け入れてもらい
一番大事な「人命」が守られたと今でも思っております。
この先も、不可抗力だったり
理不尽なことが目の前で起きることもしれません。
しかしながら、事実は一つであったとしても、
そこへの解釈は無数であり、
解決策も無数です。
つまり、いつでも自分たちは
「選択できる」、「選択できる力がある」ということを
信じ、肝に銘じながら、
強くしなやかに生き、力を合わせて目の前のことを
一つひとつ解決していきたいと思いました。
私にとって大切な関西の仲間、
そして
北海道の仲間が大変な状況にあります。
状況を冷静と見極めてながら、
私として参画できるベストな選択肢を考えていきます。