今日もお読みいただきありがとうございます。

前回の号で、

・目の前で課長が倒れました

というタイトルで
脳出血になってしまい、
緊急搬送された課長のお話をしました。

今日はその続きのお話と、
そこからの学びをシェアしたいと思います。

一命をとりとめたからこそ、
今こうやってシェアできるのかもしれませんが、

倒れた当時、
見通しの見えない当時は
私の家族ではないものの、
本当に、本当の家族のように
毎日課長の容体を気にしておりました。

そして、
もちろん一番つらいのは本人であり、
本人のご家族であったわけですが、

彼が率いる課の「課長補佐」であった私や
課のメンバーにとっても、
本当に大きな重圧と負担がかかったのは事実です。

何の重圧と負担であったのか
ということについてですが、
単に業務量が増えるとか
そういったことというのはどうでもよくて

・これから課長はどうなってしまうのだろう?
・課長のいない課はどうなってしまうのであろう?

言ってみれば
・見えない重圧
・見えないストレス
・見えない疲労感
・「一番課長が苦しんでいると思うからこそ、自分たちが頑張らなきゃ!」
と自分の気持ちを抑え込もうとすることから生じるいろんなこと


我々の
パフォーマンスであったり、
健康状態に
少なからず影響を与えたのは事実です。

そして、その時に分かったことは、
いくら自分たちを元気づけようと、

・飲み会を開催しても
・カラオケに行っても
うまく切り替えられた!!
ストレスが発散できた!!
というものでは決してなくて、

課長が元気になることだけが
唯一の治療薬であろう!
と感じたのも
すごく明確に覚えています。

課長の復帰のメドが立たない中、

でも、途中、何度かお見舞いに行くたびに
すこーしずつ課長は

・起き上がれるようになり
・お見舞いの帰りに出口まで送ってくれるようになり
・握手ができるようになった姿
を見ることで

ようやく自分たちの抑え込んだ気持が
薄紙をはがすように少しずつ開放され、
楽になったのを思い出します。

ここからの学びとしては、
・もちろん本人が一番大変、つらい、苦しい
・同じように本人の家族も、大変な思いをするのはもちろん、
慕われていた人ほど、
・その周囲の同僚にも、精神的なダメージを与える
ということです。

健康は誰のためにあるのか?

ということをおぼろげに感じ始めた
この時期の出来事でした。

貴方にとって、
・健康とは何ですか?
・健康とは誰のためにあるものですか?

さて、
「リハビリ生活に入れることになった課長」、
そこからの学びについては

続きは、また次号で。
それではまたお会いしましょう!
ここまでお読みくださりありがとうございました。