ヨガの目的の一つは離欲(ヴァイラーギャ)らしいです。

欲から離れること。

 

しかし、全ての欲から離れることが目的か?というと違うよね

欲にもいろいろあり、例えば生理的欲求は生きてく上で必要じゃないですか。

これまで捨ててしまったら、簡単に命を放り投げることになる。

 

では、整理的欲求以外の欲はエゴの欲、となるのかな? 

でも、全てのエゴの欲が悪いわけじゃないと思うんだよね。

パートナー欲しい。

この分野で成功したい。

いいじゃないですか。

 

欲にも見極めが必要で、

また、叶えるためのアプローチの仕方、思考と感情のバランス、

その感覚を養うのがボディワークなのではないかと思う。

(数秘で心の癖もわかるから、数秘も便利である。)

 

***

 

身体が不調なのに成功したい、は違うよね 

その成功と思っている物事自体が怪しいと思うし。 

まずは身体ですよね。

 

でも、身体が不調だと幸せを感じれないか?というのは 少し違っていて 

もちろん、身体の調子が良い方が幸せを感受しやすくなると思うのだけれど 

身体の不調で幸せに気がつくこともあるよね

 

物をたくさん持っていたら幸せになれる、は違うと思うけれども 

物で幸せを感じることを否定することとは違うよね 

 

パートナーさえいれば幸せになれるのに!は違うと思うけれども 

パートナーから幸せを感じることを否定するのは違う。

 

***

 

これさえあれば、の思考は 、その奥は。

私にこうしてよ!なのかもなぁ 

他力。

 

ボディワークは基本、自分でやるしかないので。また、失敗もつきものなので。

それを継続的にやって結果を感じれるようになってきたら 

周りへの欲(他力本願的な)が減ってくるだろうなと思う。 

ここでいう「結果」は周りからの評価は二の次で 

自分にしか分からないムフフな変化ね。^^

 

その、ムフフな変化を積み重ねていけば、 

本当にやりたいことの精度(それって本当にやりたいこと?他人軸になってない?みたいな)も上がっていくと思うんだよなぁ。 

失敗も怖くなくなる。

 

執着も手放しやすくなる。 

手放すと、身体が緩むから、わかりやすい。 

身体は正直。

 

ヨガをやるにしても、 かっこよくポーズを決めるのが目的なのと 

内側への探求が目的なのとでは また違ってくると思うんだよねぇ 

きっかけは、かっこよく見られたい!でもいいと思うんだけど。

 

まぁ、メモ書きということで、あまりまとまっていませんが。

うまく、周りの力も借りながら。

身体様とともに、本当にやりたいことを見極めたいし、現実化していきたいですよね。

という感じです。

 

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