ヨガの目的の一つは離欲(ヴァイラーギャ)らしいです。
欲から離れること。
しかし、全ての欲から離れることが目的か?というと違うよね
欲にもいろいろあり、例えば生理的欲求は生きてく上で必要じゃないですか。
これまで捨ててしまったら、簡単に命を放り投げることになる。
では、整理的欲求以外の欲はエゴの欲、となるのかな?
でも、全てのエゴの欲が悪いわけじゃないと思うんだよね。
パートナー欲しい。
この分野で成功したい。
いいじゃないですか。
欲にも見極めが必要で、
また、叶えるためのアプローチの仕方、思考と感情のバランス、
その感覚を養うのがボディワークなのではないかと思う。
(数秘で心の癖もわかるから、数秘も便利である。)
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身体が不調なのに成功したい、は違うよね
その成功と思っている物事自体が怪しいと思うし。
まずは身体ですよね。
でも、身体が不調だと幸せを感じれないか?というのは 少し違っていて
もちろん、身体の調子が良い方が幸せを感受しやすくなると思うのだけれど
身体の不調で幸せに気がつくこともあるよね
物をたくさん持っていたら幸せになれる、は違うと思うけれども
物で幸せを感じることを否定することとは違うよね
パートナーさえいれば幸せになれるのに!は違うと思うけれども
パートナーから幸せを感じることを否定するのは違う。
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これさえあれば、の思考は 、その奥は。
私にこうしてよ!なのかもなぁ
他力。
ボディワークは基本、自分でやるしかないので。また、失敗もつきものなので。
それを継続的にやって結果を感じれるようになってきたら
周りへの欲(他力本願的な)が減ってくるだろうなと思う。
ここでいう「結果」は周りからの評価は二の次で
自分にしか分からないムフフな変化ね。^^
その、ムフフな変化を積み重ねていけば、
本当にやりたいことの精度(それって本当にやりたいこと?他人軸になってない?みたいな)も上がっていくと思うんだよなぁ。
失敗も怖くなくなる。
執着も手放しやすくなる。
手放すと、身体が緩むから、わかりやすい。
身体は正直。
ヨガをやるにしても、 かっこよくポーズを決めるのが目的なのと
内側への探求が目的なのとでは また違ってくると思うんだよねぇ
きっかけは、かっこよく見られたい!でもいいと思うんだけど。
まぁ、メモ書きということで、あまりまとまっていませんが。
うまく、周りの力も借りながら。
身体様とともに、本当にやりたいことを見極めたいし、現実化していきたいですよね。
という感じです。
