本日でミラノの学校も終了。
当初は皆の喋りのレベルについていけず、
友達もおらず、どうなることかと思っていましたが
終わってみれば楽しくて実りある4週間でした。
皆、生活環境が違うので、
1コマ目だけ、2コマ目だけ受講している、
週3日だけ来る、ときどき用事で欠席する、
みたいな方々もいるし、
イタリア人と結婚して家庭があるので
授業終了後は真っ直ぐ帰宅、みたいな方もいて
一緒にご飯に行ったりする機会等はありませんでしたが
それでも最後の授業が終わると
一緒に写真を撮ったり、
メアドやFBページの交換をしたり。
やっぱり寂しいものです。
とりわけよく話をして仲良くなった
ロシア人Alishaとフランス人Ederyと

最初で最後、一緒にカフェに行きました。
お互いにたどたどしいイタリア語で話したのは
やっぱり、今後のこと、将来のこと。
「夢は、人生にとって重要だ」と熱く語る2人。
そしてこれまでの夢だったイタリアでの生活を一旦終え
「人生で、今の気持ちを忘れることは無いと思う」と
涙するAlishaを見て、自分も、泣きはしないけれども
同じ気持ちだと思いました。
Ederyはまだしばらくミラノにとどまり、
Alishaと自分は一時帰国するけれども
夏にまた戻ってくる予定でいるので、
うまくいけばまたミラノで会えるし、
駄目なら駄目で、フランスでなり、ロシアでなり、
日本でなり、またどこかで会いたいね、と。
この「いつかまたどこかで会おう」というのは
日本人同士がイタリアでそう言って別れたら
例えばイタリアでは実現できなくても
最終的には日本でなら何とか会えるところでも、
それぞれが遠く離れた国の出身である場合、
はるかに難易度が高く、
お互いのもの凄く固い「意志」と
タイミングという「運」の要素がより必要なわけで。
逆に、その2つさえあれば
きっと、いつでもどこででも会えるはず。
でも、一般的には、やっぱり実現するのはなかなかに難しい。
出会って一緒に過ごせる本当に短い時間の間に
たくさんの深い感情や経験の共有をして初めて
また会いたいという固い「意志」が生まれるので、
その一瞬をぬるく過ごしてしまったら
そんな意志は生まれない、つまり次は無い、
その程度のものだった、
そういうことだと思います。
「出会いに感謝」とか「一期一会」とか
これまでは何となく言葉にするのが恥ずかしいというか、
自分がそれを口にしても言葉が上滑りしているようで
実感と重みを伴って発することができなかったのですが
この3ヶ月、それぞれの夢のために
一生懸命やっている人たちに囲まれて、
お互いの人生が一瞬わずかに触れ合う、
その一瞬だけが共に過ごすことを許された時間だという
シチュエーションで暮らしてきた今なら
心から「出会いに感謝」「一期一会」と言える気がします。
こちら↓が1コマ目の先生とクラスメート(一部)。

そして、こちら↓が2コマ目の面々(一部)。

2コマ目、最後の授業の、
本当に最後の会話のテーマは
「それぞれの2年後の将来」について、でした。
確かなこと、不確かなこと、
1人1人が夢と現実の狭間の話をしたのだけれども、
皆がそれを実現できればいいな、と。
いろんな障害や問題とかが
出てくるかもしれないけれど、
1つ1つそれが解決できて、皆の夢が叶えばいいな、と。
もちろん自分の2年後は、すべて自分の責任で
自分の思うがままに描いて、
自分の思うとおりに実現するしかありません。
心から皆に感謝!!
Grazie mille a tutti!!
当初は皆の喋りのレベルについていけず、
友達もおらず、どうなることかと思っていましたが
終わってみれば楽しくて実りある4週間でした。
皆、生活環境が違うので、
1コマ目だけ、2コマ目だけ受講している、
週3日だけ来る、ときどき用事で欠席する、
みたいな方々もいるし、
イタリア人と結婚して家庭があるので
授業終了後は真っ直ぐ帰宅、みたいな方もいて
一緒にご飯に行ったりする機会等はありませんでしたが
それでも最後の授業が終わると
一緒に写真を撮ったり、
メアドやFBページの交換をしたり。
やっぱり寂しいものです。
とりわけよく話をして仲良くなった
ロシア人Alishaとフランス人Ederyと

最初で最後、一緒にカフェに行きました。
お互いにたどたどしいイタリア語で話したのは
やっぱり、今後のこと、将来のこと。
「夢は、人生にとって重要だ」と熱く語る2人。
そしてこれまでの夢だったイタリアでの生活を一旦終え
「人生で、今の気持ちを忘れることは無いと思う」と
涙するAlishaを見て、自分も、泣きはしないけれども
同じ気持ちだと思いました。
Ederyはまだしばらくミラノにとどまり、
Alishaと自分は一時帰国するけれども
夏にまた戻ってくる予定でいるので、
うまくいけばまたミラノで会えるし、
駄目なら駄目で、フランスでなり、ロシアでなり、
日本でなり、またどこかで会いたいね、と。
この「いつかまたどこかで会おう」というのは
日本人同士がイタリアでそう言って別れたら
例えばイタリアでは実現できなくても
最終的には日本でなら何とか会えるところでも、
それぞれが遠く離れた国の出身である場合、
はるかに難易度が高く、
お互いのもの凄く固い「意志」と
タイミングという「運」の要素がより必要なわけで。
逆に、その2つさえあれば
きっと、いつでもどこででも会えるはず。
でも、一般的には、やっぱり実現するのはなかなかに難しい。
出会って一緒に過ごせる本当に短い時間の間に
たくさんの深い感情や経験の共有をして初めて
また会いたいという固い「意志」が生まれるので、
その一瞬をぬるく過ごしてしまったら
そんな意志は生まれない、つまり次は無い、
その程度のものだった、
そういうことだと思います。
「出会いに感謝」とか「一期一会」とか
これまでは何となく言葉にするのが恥ずかしいというか、
自分がそれを口にしても言葉が上滑りしているようで
実感と重みを伴って発することができなかったのですが
この3ヶ月、それぞれの夢のために
一生懸命やっている人たちに囲まれて、
お互いの人生が一瞬わずかに触れ合う、
その一瞬だけが共に過ごすことを許された時間だという
シチュエーションで暮らしてきた今なら
心から「出会いに感謝」「一期一会」と言える気がします。
こちら↓が1コマ目の先生とクラスメート(一部)。

そして、こちら↓が2コマ目の面々(一部)。

2コマ目、最後の授業の、
本当に最後の会話のテーマは
「それぞれの2年後の将来」について、でした。
確かなこと、不確かなこと、
1人1人が夢と現実の狭間の話をしたのだけれども、
皆がそれを実現できればいいな、と。
いろんな障害や問題とかが
出てくるかもしれないけれど、
1つ1つそれが解決できて、皆の夢が叶えばいいな、と。
もちろん自分の2年後は、すべて自分の責任で
自分の思うがままに描いて、
自分の思うとおりに実現するしかありません。
心から皆に感謝!!
Grazie mille a tutti!!