朝8時半、朝もやの中、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に

『最後の晩餐』を見に行きました。
渡航前から、イタリア(人)の文化背景を理解したくて
少しずつキリスト教に関する本を読んでいた中で、
この『最後の晩餐』に描かれている裏切りの予告と、
まさにその裏切り者のユダについて、
「イエスを裏切ったユダが、実は弟子の中で
他の誰よりも真理を授かっており、
裏切り自体もキリスト自身が主導したものである」
という立場で描かれた『ユダの福音書』の存在を知り
俄然、興味が湧きました。
冤罪に近しい微罪のための殉死によって
キリスト教の求心力が圧倒的に高まる、
そこまで考えていたキリストによる自作自演の殉死劇に
どうしても必要な汚れ役=金に目の眩んだ裏切り者を
黙って引き受け、やり遂げたユダ。
そういう視界で見ると、
キリストはどんな気持ちでユダに託したのか?
ユダはどんな気持ちで引き受けたのか?
もうキリストとユダの2人の姿しか目に入らない!
そんな15分間の対面でした。
その後、まだ朝も早く時間があったので
近くの観光名所を探して、サンタンブロージョ教会へ。

最初は全く気づいてなかったのですが
内部を見て回っているうちに「!!」と

ハタと、気がつきました。
サンタンブロージョ=聖アンブロージョ=アンブロシウス!!
そう、古代ローマ時代のミラノと言えばアンブロシウス、
皇帝テオドシウスに取り入り、
キリスト教の国教化、異教の排斥、
つまりは古代ローマの「寛容の精神」の排斥を押し進めた、
あの、大司教アンブロシウスです。
そーだった、そーだった!
・・・と独りひっそりと興奮してしまいました。
キリスト教世界(ひいては現代の全世界)の趨勢を
規定した2つの大事件にまつわる歴史的遺物・遺構が
わずか徒歩10分圏内の距離に存在する街、ミラノ。
そしてミラノの他にもルネサンスのフィレンツェ、
「世界の首都(カプトゥ・ムンディ)」ローマを
内包するイタリア。
本当に興味が尽きません。。。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に

『最後の晩餐』を見に行きました。
渡航前から、イタリア(人)の文化背景を理解したくて
少しずつキリスト教に関する本を読んでいた中で、
この『最後の晩餐』に描かれている裏切りの予告と、
まさにその裏切り者のユダについて、
「イエスを裏切ったユダが、実は弟子の中で
他の誰よりも真理を授かっており、
裏切り自体もキリスト自身が主導したものである」
という立場で描かれた『ユダの福音書』の存在を知り
俄然、興味が湧きました。
冤罪に近しい微罪のための殉死によって
キリスト教の求心力が圧倒的に高まる、
そこまで考えていたキリストによる自作自演の殉死劇に
どうしても必要な汚れ役=金に目の眩んだ裏切り者を
黙って引き受け、やり遂げたユダ。
そういう視界で見ると、
キリストはどんな気持ちでユダに託したのか?
ユダはどんな気持ちで引き受けたのか?
もうキリストとユダの2人の姿しか目に入らない!
そんな15分間の対面でした。
その後、まだ朝も早く時間があったので
近くの観光名所を探して、サンタンブロージョ教会へ。

最初は全く気づいてなかったのですが
内部を見て回っているうちに「!!」と

ハタと、気がつきました。
サンタンブロージョ=聖アンブロージョ=アンブロシウス!!
そう、古代ローマ時代のミラノと言えばアンブロシウス、
皇帝テオドシウスに取り入り、
キリスト教の国教化、異教の排斥、
つまりは古代ローマの「寛容の精神」の排斥を押し進めた、
あの、大司教アンブロシウスです。
そーだった、そーだった!
・・・と独りひっそりと興奮してしまいました。
キリスト教世界(ひいては現代の全世界)の趨勢を
規定した2つの大事件にまつわる歴史的遺物・遺構が
わずか徒歩10分圏内の距離に存在する街、ミラノ。
そしてミラノの他にもルネサンスのフィレンツェ、
「世界の首都(カプトゥ・ムンディ)」ローマを
内包するイタリア。
本当に興味が尽きません。。。