オリンピックとナショナリズム | 赤春 ~セキシュン~

オリンピックとナショナリズム

荒川が、日本初のメダルを、それも金メダルを取ったようでして、朝から晩まで演技のVTRやインタビューやらで荒川が見れますね。

まさに荒川デー。


まずはおめでとうございます。


それにしても、改めてオリンピックやらワールドカップというのは、どういうもんなんでしょうかね。


出場選手は、日本で一番その分野で優れている選手が選ばれるわけで、そういった意味で国を代表する選手なわけです。


ですが、それが単純にナショナリズムに結びついていいんでしょうか。


道端で号外を手にした人が何の恥じらいもなしに、心から感動できる・・・(らしい)ことに恐れを抱かなくていいのでしょうか。


個人的には、やっぱり負けるよりは勝って欲しいという気持ちはやはりありますね。特に、帰国子女というのは、あまり知られてはいないのですが、保守的な傾向があるように思えます。


やはり海外で発言やら行動するときに、常に「日本人として」として見られる、そして同時に自分で「日本人」だということを意識するからでしょう。


一昔前は、帰国子女と言えば「日本だせーよ、アメリカさいこー」っていう人が多かったそうですが。


まぁ、そーいうキモチはあるんですけども、オリンピックでナショナリズムを発揮していいものなのか。


やっぱり一スポーツの祭典にナショナリズムを持ち込んではいけないような気がします。

割と眠いし、頭も悪いのでなぜという論理は省きますw


とにかく、例えば「荒川が金メダルで嬉しい」というのは、「荒川が日本人だからというのではなくて、コーエンよりもスルなんたらかんたらっていうロシア人よりも一個人として好きだから」なのだということにします。


だから、安藤がメダル取ったら、もっと喜べたのでしょう。