僕は今回の震災に対して1円も募金をしていません。

この気持ち、いつまで貫き通せるかな・・・。




駅前とか歩く機会が無いからいいものの、通勤とか通学で毎日そういう場所を通過せざるを得ない人達は本当に可哀想だな。

「良心のカシャク」とかっていうやつに常に苛まれながら日々を送らなければならない。


常に「試されている」感じがする。





募金箱のその穴の先が、一体どこにどう繋がっているのかも分らないってのに。

無防備に金を放り込めば、とりあえずはそれで自己満足できる。







ところで「日本赤十字社」ってアレ、一体何者達の集りなのだろうか。





風の噂で、いや見たテレビのニュースで、日本全国の「心ある人」もしくは「お金のある人」から集った義援金が、全部で何百億とかに達したってのを見て、

「ああ、これだけの金額であれば、何割かの被災者は救われるな、良かったな。」


と思ったのも束の間、その巨額を分配して、「死者・行方不明者1人につき35万円を支給する」とか何とか会議で決めたそうじゃないか。


・・・35万ぽっちで、一体何が出来る。それで何日生きられる。日本全国の「心ある人」と「お金のある人」から寄せられた「愛」とか「おもいやり」の固まりが、焼けた石の上で「ジュツ」と水蒸気になる瞬間を見た気がした。





「平等に分配」の愚。

そこに僕は個人主義の限界を見る。(だからって全体主義者なわけでもないけど)




この、募金・義援金に関しては、

「集ったお金の使い方」・・・それこそが僕の最大の関心事だ。




僕らは「信じる」より仕方ないのか?得体の知れないまるでブラックホールみたいな募金箱に、とりあえずなけなしのお金をブチ込んで、とりあえず自分の良心を撫で撫でしてやるより他に道はないのか?








出来うるならば、その明細書を、この目でしかと見てみたい。