ねえ、胡桃。
本当に、
・・・しんだら人はオシマイか?
胡散臭い新興宗教は全部無視するとして、でも、しんだら人は「星」とか「風」になるとかいう、あのキレイゴト的抽象論も大嫌いな僕なのです。
問題は、僕がこれまで27年間の人生において、山のように積み重ねてきた「赤っ恥」を、その全てを「死」がキレイサッパリ洗い流してくれるかどうか、・・・そこになんですよ。
「妄想」→「暴走」→「逃走」
を基本とするコムの人生は、「恥」を「恥」で塗り重ね続けながら今日も進んでいく。
それはもう、あなたの想像を遥かに凌駕する、まさに「恥の結晶体」ともいえる、それが僕です。
この先も、この「恥のバームクーヘン」は層を重ねながら巨大化を続けることでしょう。
最期、命を終えた時、この大荷物は一瞬で「無」に帰るのかな?
「C」じゃダメ、「AC」じゃないと。・・・あ、これは「電卓」を使ったたとえた話。
スピリチュアルとは一切無縁。心霊体験も、不可思議にも、一切縁がにゃい。ユー霊見えない。
でもさ、
「終われない」・・・そんな気がしてたまらない。
死ぬくらいのことで、僕らは多分終われない。
人間は「老いる」からさ、「ボケる」からさ、・・・つまり一見全てが例外なく「終わっていく」から、人はそこで錯覚する。「オワリ」があると錯覚をする。
でもさ、
「なかったこと」には多分出来ない。
おそらく「死」は、全てを洗い流してくれないだろう。おそらく死は「解放」を意味しない。
僕らはきっと、全部引きずって生き続ける。
僕の積み重ねた「恥」も、おそらく永遠に帳消しにはならずに、そこに存在し続ける。
人は死んでも多分死ねない。
そう簡単に、「ム」にはなれない。