先日のぼくは、久し振りに名古屋・栄にある『ギャルリー草笛』に行った。
短大時代からお世話になっている「ふりふり先輩」の展示を見に行くべく、ただそれだけの目的で、僕は名古屋へと向かったのだ。ちなみに最近の僕は、「ついで」という発想が、もう生理的に出来なくなってしまっている。
「ついでだから帰りに服でも見て」とか、「ついでに名古屋観光でもして」ということをすれば、いろんな意味で効率的だとわかってはいるのに、目的を果たした時点で、それ以外のことがもう面倒臭くて堪らなくなってしまうのだ。
そしてこのように、「ふりふり先輩」の作品はなかなか見ごたえがあり、僕はそこから幾つかのアイディアを自分の制作活動に利用させていただく決意をし、ニヤニヤする心中を必死でごまかした。
さて。
『ギャルリー草笛』は、名古屋栄のど真ん中にあるギャラリーで、その窓からは、今や哀愁を漂わす只の廃館となってしまった『さくらアパートメント』の全貌を見ることができる。
それはまだ取り壊されることもなく、当時の外観を残したまま、ひっそりそこに佇んでいた。
『さくらアパートメント』
とは、元々が旅館であった建物を改装して、それぞれ客室だったところに雑貨屋・古着屋・アクセサリー屋などを集めた商業施設で、2000年頃にオープンし、当初はその珍しい試みに、メディアなどにも取り上げられ、一時はちょっとした話題のスポットとして、多くの人が訪れた。
そして、ここには若き日のコムの思い出がギッシリと詰まっている。
ここで僕は、何度か自分の作品の展示会を行ったのだ。コンビニバイトと、路上での販売活動をやりながら、さらにここへ通いつめていた時期もあった。
それが、いまや・・・。
・・・諸行はつくづく、無常だな。
みんな壊れるし、みんな終わるし、みんな老いるし、みんなしんでいくな。
僕がバイトをしていたコンビニも、この間見たら2軒ともつぶれてしまっていた。
夢も希望もない、そんな「現実」を僕はまのあたりにした。
でも、どちらかというと僕は、そこに「絶望」とか「恐怖」ではなく、むしろ「救い」を感じるんだよな。
そこで初めて、「あなたと僕とは・・・実は『同志』だったんだな」と思えるのだ。
同じ時代を生き、同じように最後はしぬ。
その一点のみにおいてはつまり、「コム」も「きむたく」も一緒くたなんだよ。
そこだけは人間、決して1ミクロンたりとも「差別」されないんだよ。
「K-1王者」も、「池面」も、「ユウコリン」も、・・・誰1人としてそいつにだけは逆らうことが出来ないんだよ?
「札束」も、「ダイヤモンド」も、キミのその「美貌」も、・・・誰一人として。
それって、なんて痛快なことだろう。
ああ、「無常」。
むっふふ。
