僕はこれまでの人生で、付き合った彼女のケータイとか日記とかを覗き見たことは只の1度も無い。
その理由なんて考えたことも無かったけど、敢えて今それを考えるとすれば、それは、
①相手を信頼し切っている。
②その逆で、完全に相手を疑い切っている。
という、この2点に集約されるのだろう。
①については、・・・そもそも疑いを抱いた時点で、既に2人の関係は半ば「崩壊」しているものと僕は考えるし、②については・・・見たくも無いものを見させられて自分が傷つくに決まっているから、そんなもんを敢えて見ようとは思わない。
とまあ、そんな感じだろうか。
・・・いや、それは違うな。
そんな僕のポリシーを支えてきたものは、この①②以前に、もっと強固でゆるぎない幼い頃の記憶にまで遡るんだ。
そう。それは僕の「母」の存在がカギを握ってる。
食べることがとにかく好きで、わかっちゃいるけどやめられず、案の定それが災いして糖尿を患い、毎朝インシュリン注射をしながら、(この間なんて「低血糖」でぶっ倒れかけてたし)、それでもまだ「食」への執着を断ち切ることが出来ず、あの世へもチョコレートと注射器を持っていくつもりなのか、とすら思えてくる、ちょっと可哀相な僕の母。
そんな母が、中学生くらいの僕に言った言葉が、未だに忘れることなく、僕の心の中に強く残っていた。
それは、
「私は日記とか手紙ってのは、たとえそれが我が子のものであっても絶対に読まない主義なの」
僕はね、・・・その母の言葉が、やけに嬉しかったんだ。
「尊厳」を守られている気がしたからかな?
そしてそれは、その後の僕の人格形成にかなり大きな影響を与えたと思う。
そうなんだな。
答えはコムの母が持っていた。
母だよ?
ははは。