彼女は今日もブログを書く。


天真爛漫。無邪気な人だ。


誰一人としてないがしろにしない。


ついたコメントには一つ一つ丁寧に返答する。


やや「八方美人」のニオイもするが、・・・どうだろう。


その聖母のような優しさにホッとすることもある。

そのコメントを読むことが、僕にとってかけがえの無い癒しのひと時だったりもする。


そう。・・・彼女は彼女のままでいてほしい。


が、それと同時に、


・・・悲しいかな、人ひとりに与えられた愛情の量には限りがある。


例えば。


・・・あなたは全人類を「平等に」愛せますか?


道徳とか倫理とか・・・「安っぽいヒロイズム」とか、・・・僕も嫌いじゃないんだけど、それらってのはイザという一番肝心な時に、実に脆弱で情けないものになってしまうんだ。



なぜなら、「平等」だとか「普遍の愛」を説く人間は、物事に「順位付け」をすることが出来ないから。



例えば、乗ってた船が転覆して、次々と人が海中に沈んでいく時、自分の愛妻と、見ず知らずの他人、そのどちらを助けていいか、解答を出すことが出来ずに苦悶する。その結果、下手をすれば、自分を責めて自害したりするのがオチ。


また、「1人の命」と「100人の命」、どちらを救うべきかを選択出来ない。


また、「ペットの命」と「人間の命」、どちらを救うべきかを選択出来ない。



『優先順位』



これは、ちょっとイヤラシイ話になるから、世の平等主義者・モラリスト達は見て見ぬフリをしようとする。


でも、厳然として、それは存在するんだ。



ドラえもん


「その理想は果たして本当に実現可能か?」


それをわきまえない道徳や正義や平等意識ってのは、単なる偽善・キレイゴトとして終わるだけだ。


そこには何の「真実」も、「救い」も、「実り」も・・・無い。



あなたがすくうことの出来るのは、両の手のひら2つ分。それ以上いくら欲張ったって、・・・結局は全部こぼれちゃうよ?



「平等」は幻想。


決してそう開き直るべきではないが、これを自覚しておく必要は、大いにあるだろう。



あひる