「彷徨【ほうこう】」→彷徨(さまよ)うこと
僕は10代の頃、「海」に異常なまでの憧れを抱いていた。生まれ育った場所が、かなり内陸に位置していたからだろうか。
海にさえ行けば、何か見たことのないものに出会える気がしていた。まだ見ぬあなたに出会える気がしていた。青春のストーリーが、そこに始まる気がしていた。
僕は高校生の頃、毎年のように自転車で海を目指した。
特に、春先と夏休みが危険。何かにとり憑かれたように、僕は海を目指した。
「関ヶ原」を越え、「琵琶湖」を周回して、日本海へ。200キロくらいあるのかな。とにかく、通学用自転車で行くような場所でないことは確かだった。
早朝に家を出て、海が見える頃にはもう夕方だ。全身は疲労し、夏場だったら真っ黒に日焼けし、たいていの場合どこかで自転車がパンクし、たいていの場合小銭しか持ち合わせていなくて、陽と共に途方にも暮れた。
浜に一人用のテントを張って、とにかく体を休めようとするのだが、案外、人間疲れすぎていると眠れないもので、それに、見知らぬ土地で一人きりという緊張感。結局、うまく眠ることが出来ないまま、次の朝を迎えるわけだ。
そんな頃になると、もう頭の中は「帰りたい」で一杯になっている。
「ダメ元」で父にSOSの電話をする。たいして怒ることもなく、父はそんな無鉄砲な僕を迎えに来てくれた。
いつもそこで後悔するんだ。「もう絶対やらんぞ」と。
そんなことを毎年僕はサルのように繰り返していた。
そして海には何も無かった。何回もそれは、この目で確かめた。つまり、
「ここではない、どこか」
に、「ただ憧れている」あいだは、決してそこには辿り着くことは出来ない、ということを、僕は身をもって学んだんだ。
・・・そうか!
14歳 15歳 16歳 17歳 18歳 19歳 20歳
の頃の無鉄砲な僕は、それぞれの正体を、全部いちいち確認してくれたんだ。
海のこと 東京のこと 女の人のこと ・・・などなど。
今の僕が、
「確かにそれは、そこにある」
という台詞をなんの迷いも無く吐けるのは、あいつらのお陰なんだな。
僕は、海には何も無いってことを知っている。
「確かにそれは~」に、「幻想」は一切含まれていない。あるのは「確信」のみだ。
にゃるほど。
これまで僕がやってきた、バカ、恥、ムダ、罪と思っていた全ての行為が報われた(許される)気がしたよ。
ありがとう、俺。 これからも、宜しく。