ニルギリス 「24サーチライト」
※今回の記事内容とは全く関係ないけど、ぼくの好きな曲。


先日の日曜、ぼくはクロマニヨンズTOUR MONDO ROCCIA '09-'10岐阜公演(11/15)に行ってきた。

凄まじいライブだった。あれは一体なんだったんだろう。・・・だって甲本ヒロトって今、46歳ですぜ?
それなのにチケット即完売で、しかもどう見ても客層が10~20代中心という、あれは異常な光景にすら思えた。

さらに今回のライブが如何に凄まじかったかの証拠付けとして、次の3点に注目していただきたい。

①なんと、ヒロトが定番の下半身露出をしなかった。
②なんと、ニューアルバムの収録曲を全曲演奏した(過去アルバムの曲、つまり「懐メロ」をやらなかった)
③なんと、MCがゼロだった(アンコール前にほんの一言のみ)

・・・これが如何に凄い意味を持つか、あなたはお分かりだろうか?

言ってみれば、それらは全て「サービス要素」なのである。
つまり、一切そういった「サービス」をする必要がない(むしろそれらが「野暮」に感じる)ほど、あの日のあの空間は充実していたわけである。

ライブは最高だった。もしもぼくが音楽雑誌のライターだったら、ありとあらゆる賞賛の言葉を並べてこれ以上評価しようがないほどに褒め称えていたことだろう。

が、ぼくは音楽雑誌のライターではない。
「1リスナー」としてのぼくの感想は、・・・ハッキリ言って
「全っ然、楽しくなかった」
である。

熱狂と興奮の渦の中へ、ぼくは「ただ疲れに行った」だけだった。

もう、目と鼻の先にヒロトとマーシーがいる。

・・・で、何?

ぼくは楽しいとも、嬉しいとも、何も感じなかった。強がっているわけじゃない。馬鹿正直に本音を言っているだけだ。

ここまでして、やっとぼくは自分という人間を理解できた。

やはりぼくはヒロトを崇拝しているわけじゃなくて、ヒロトに「同化」することで充足を得ていたのだ。だから、ステージの上と下でハッキリその立場を分けられてしまうと、もう一気に心が冷めてしまう。

ヒロトの歌は「ぼく自身のBGM」として機能しないと意味がない。


歴史に残るほどの最高のライブを目撃して、ぼくは感動も満足もせず、その爆音と人口密度に・・・ただただ疲れた。