今日もぼくはペタをする。
ウェブサーファーさながらに、リンクを辿っていって、プロフィール写真の可愛い女のコを見つけてはペタをする。
「このコが後でペタに気付き、ぼくのブログを見て感動する。そしてぼくのファンになって。・・・もう、ウハウハや!」
そんなシナリオを頭の中で描きながら、とにかく沢山のペタを残していく。
そして、大抵の場合はその後で、そんな自分に嫌気がさす。自分の容姿にはたいした自信を持ってもないのに、偉そうに他人様を「美女」だとか「ブス」だとかと区別している、そんな自分が虚しくなる。
それと、・・・写真ではもう最高の美女だったとしても、実際の人物がその通りに最高の美女であるという保証はどこにもない。ぼくだって、例えば自分を100回撮影すれば、そのうちの3枚くらいは自分でもビックリするほどカッコいい写真が撮れるんだもの。本当にビックリするくらい(笑)。
学生時代の頃のぼくは、特に女子などで「わたしは写真映りが悪いから・・・」といっているのを聞いては、
「そんなこたァないでしょう。あなたは写真映りどうこう以前の問題があるのだよ。なんでそれが分からないかな」
・・・などと、(もちろん口に出す勇気はないのだが)心の中でつぶやいた。つまり、かつてぼくは、写真というのが
「真実を写すモノ」
という、読んで字の如くのそのままを、何の疑いもなく信じていたわけだ。
だから当時のぼくはヒロトが、ハイロウズのシングル「スパイダーホップ」のカップリング曲「全滅マーチ」で
>止まってるんだよ 写真 本当はいい男
>反対なんだよ 鏡 本当はヘンな顔
と言っていることの意味を、うまく理解することが出来なかったのである。
26年間の人生経験を積む中で、ぼくはその歌の意味していることを理解できるようになった。
「本当は結構カッコいいのに、写真に映るとショボショボになっちゃう人。」
「別にそれほどたいしたモノは持っていないのに、写真に映るとやけにサマになって、カッコいい人。」
その他にも、ビデオなどの「動画」が映える人なんてものいる。
また、これはちょっと関係がない話になるが、女性の「化粧」ってのにも、それがあると思う。化粧で思いっきり化けることが出来る人と、その逆で、化粧をしない方が魅力的な人というのが、どうやらいるみたいなのだ。
おれは写真を信じない。というか、結構な写真嫌いだ。
以前はこの「写真嫌い」という言葉がどうしても使えなかった。写真に映るものが常に「真実」という前提に立てば、「写真嫌い」なんていう言葉はまるでスッカラカンで、只の言い逃れで、それは単に「自分の醜い容姿が嫌い」と言うべきだと思っていたのだ。
ぼくの考え方は、少し変わった。
「写真映りは悪い人けども美人」は確実に存在し、
「映りはいいけども本当は不美人」も間違いなくいるな。
うん。・・・ぼくはそう確信している。
『写真は本当に真実を映しているのか?』
これは決して「哲学」なんかじゃないんだよ?そこを誤解しないでくださいね。
「感性によってものの見え方がどうこう・・・」とかそういうヘンな精神論・観念論ではないんだ。
・・・これを正しく分かっていただけ人が一人でもいたなら、・・・今回のぼくは、もう満足だ。

