いや、・・・読める。



ごめんなさい。ぼくは文字が読めます(笑)。




ただそのスピードが、とにかく「遅い」のだ。



同じ情報を与えても、それを理解するまでに一般の人よりも3テンポくらいの遅れが出る。それがぼくである。



ぼくは週刊誌の表紙が嫌いだ。もう文字だらけ。繁華街の光景もそうだ。いたるところに看板があって、そこには文字が躍っている。

大好きな「少年ジャンプ」の表紙ですら、ぼくはずっと腑に落ちなかった。



「文字は要らないのに。絵だけがあれば、それでいいのに・・・。」



ひどい時なんて、映画のスタッフロールから、食品の原材料表示まで、いたるところにある文字情報までもが目障りに感じることすらあった。



ぼくは、言ってみれば「文字アレルギー」である。おそらく、一般的な人間に標準装備されているであろう情報処理機能の、ある大事なパーツが欠如しているのだと思う。



文庫本なんかを読んでいるぼくの姿は、周りから見たらもう「滑稽」としかいいようがないだろう。

同じページをずーっと見ていて、全然読み進んでいるように見えないのだから。


というかぼく自身、一旦読んだはずの部分を気が付いたらまた読んでいたりすることが何回もあると、もう自分自身が滑稽に思えてくる。

それはさながら、4個の胃袋で一生懸命そしゃくと反芻を繰り返すウシのそれである。



そんなぼくに、一冊の読書でもさせようと思ったら、これが如何に大変なことか。



正直、漫画ですら億劫なんだ。



それだけに、ぼくの読書に失敗は許されない。一冊のリスクが大きすぎるから。一冊の文庫本に下手をすれば何ヶ月もかけてしまう、そんなぼくが人生で出会える作品というのは、かなり数が限られているのだ。




つまり、ぼくがオススメする本というのは、なにを置いても大前提として「読み易い」ということになる。でも、果たして「読み易い」といわれることは作家にとっての誉れなのだろうか・・・、そこは少し気になるところである。



「コムのオススメ」というのが「レッテル」にならなければいいのだが(苦笑)。問題はそこだな。




そしてこのブログにも、そんな「文字アレルギー」コムの、文章というものに対する「怨念」が一字一句に強く込められている。



ぼくは文字を単なるモノクロの記号だけで終わらせたくない。読み手のココロの中で脈動する、そんな「生き物」のような文章でなければ・・・という意識を常にそそいでいる。


読み手の心の中に思うがままの情景や色彩を描く、といえば・・・ラルクアンシエルのhydeさん、小説家の森見登美彦さんなんかが思い浮かぶ。



・・・う~ん。なかなか理想は現実と程遠いところにあるようだ。


スライム2 スライム2 スライム2 おしまい





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