情報化社会の真っ只中に育った僕らというのは、テレビや写真なんかを通して、この地球のありとあらゆるものを目にすることができる。



命懸けで臨まないと辿り着けない様な秘境の景色なんかを、何のリスクも負うことなく、自宅のテレビ画面から見て、知ることができてしまう。



これって一見すると、ただ「便利」で「画期的」なことなんだけど、本当は、それによって生じる弊害の方が大きいのではないだろうか。



僕はそんな世界に警鐘を鳴らしたい。



情報化社会の真っ只中に育った僕は、20代そこそこにして、まるでこの世の全てを知り尽くしたかのような錯覚に陥ってしまっていた。



たかが一度、自分の夢に挫折したくらいで、その後の人生に何の希望も期待も持てないと思ったのも、そのためである。だから当時の僕は、「世の中の90%は退屈で出来ている」なんて嘯いてしまったわけだ。




僕は昨年の夏、短大時代の先輩と2人で富山県の「立山(雄山)」登山をした。自分の意思で登山なんてことをしたのは、これが生まれて初めてだったのではないだろうか。登山好きの人は登山の理由を「そこに山があるからだ」なんていうけれど、正直、「何言ってんだか・・・」くらいに、全く聞き流していた。


ところが、ここに予想外のとんでもない新鮮な感動(・・・というより「興奮」かな?)があったのだ。



また、秋には一人で「九州一周神社参りの旅」を敢行、一週間かけてレンタカーで九州を一周したのだが、その中でも、熊本県にある「阿蘇山」周辺のドライブコースを車でぐるっと回った時のことが一番印象的で、一面ススキで覆われたミルキーグリーンの阿蘇山の大パノラマを見て、夏の立山に匹敵する感動に、僕は身震いした。




「夢に敗れても、そう簡単に死ぬもんじゃないな」・・・と、僕は心の底からそう思った。




そして同時に、この感動や興奮ってのは、写真やテレビ画面では、絶対に伝えられないな、ともつくづく思った。

だって、テレビや写真ってのはいくら画質が良くても、実物の何万分の1とか(?)のミニチュアでしかないし、その場の匂いや、温度感なんかも伝えることができないのだから。




この世界は、ものの感じ方一つ変えてみるだけで、発見と感動に満ち溢れている。まだ開けていない宝箱がそこらじゅうにゴロゴロしているのだ。





僕ら、そう簡単に死んでしまったら、勿体ないにもほどがある・・・ヨ?


まりおたん まりおたん まりおたん  おしまい





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