こんにちは、湖本とうこです。
今日は、私の昔の話なんですが、
転換性症状に気づいた出来事や
当時は自覚がなかったというお話をしようかと思います。
(リラックスしている猫も自然な解離状態になることあります。)
よく
「いつ解離に気づきましたか?」
と言われるんですが、いつというはっきりした答えが
私はないんですね。
解離性同一性障害と診断される前から
離人感やら、ちょっと説明できない出来事とかあって
それは解離が関係しているようなんですが、
じゃあ、私が解離し始めた時っていつだろう?と考えると
はっきりしない。
自覚し始めた、というよりも
それはとても自然に日常のあちこちで起こっている
という感じなんです。
それは私に限ったことではなく、
多くの人に見られることみたいで、
「とーこさんて、解離の症状ってどんな時に始まったんですか?」
とか
「どんな時に気づいたんですか?」
って、質問してくれる人が結構います。
今日はその解離の症状のうちの
転換症状についてお話ししようと思います。
ではエピソードです。
これは高校生の時の話です。
その日は、学年の集会とかで剣道の練習場を使ってたんですよ。
6時間目かな?最後の時限が丸々集会みたいな感じでした。
途中、すごくめまいのようなものを感じて、吐き気までしてきたので、近くの先生にいって、列の最後尾の方、防具とかしまうスペースのあたりで、居させてもらった。
時間が経って集会が終わって、みんな練習場を出ていくんですね、
その気配を体育座りしながら、顔は下を向いて、膝を抱えた状態で感じるんです、
あぁ、私も出ていかないと、、、と思う。
だけど、体は動かないんです。
かたく足を抱えた状態から、自分の意思で腕が解けないんですね。
最後の生徒が出て行って、
先生が剣道場の窓を閉めたり、戸締りをしようとしている、
そんな状態で、もう出なきゃってわかっているのに動けないんです、体育座りのまま。
そして先生が不思議と、気づかない。
先生側から見えそうな場所にいるし、こちらからははっきり先生が見えるのに
気付かないんですね。
「先生待って、私もいきます。」
そう言って立ちたい。
でも、体育座りのまま、すこーし頭をもたげて見ているだけの状態になってしまう。
もちろん、声も出せない。
そうしてるうちに先生が出て行って、鍵をかけて、去って行ってしまう。
そして、先生がいなくなって、シーンとして、ようやく体を動かしたんです。
ようやく動けた、と言った方がいいかな。
その日、終わりの会の前の時限だったから
間も無く生徒たちが帰っていくような気配がするんだけど
少し遠いのと、気恥ずかしくて、なんでそこにいるんだ?みたいに騒ぎになるのが嫌で。声を大きく出せなかった。
「すいません、すいませーん」
と誰かに聞こえたらラッキーくらいの大きさでいう。
でもそんな声じゃやっぱり誰も来ないんです。
その日は剣道部の練習がない日で、剣道場には誰も来ません。
当時携帯電話は持っていたんだけど、
プリペイド携帯というものしか持っていませんでした。
山の上の学校だから、電波は届かないところの方が多くて
私のプリペイド携帯もやっぱり圏外。
運悪く、持っていた携帯電話の電波が入らない練習場で、友達にも連絡できなかった。
どんどん生徒が帰っていって、少し肌寒くなって、
いよいよ焦ってきます。騒ぎになるかも、とか思っている場合じゃない、一晩ここで過ごさないといけないかもと思って、さっきよりも大きな声で「すいません!誰か!!」と叫び始めました。
そうすると、剣道場の近くで練習をしていた
別の部の生徒がたまたま通ってくれて、
「えっ?どうしてここにいるん?どうしたん?」
みたいに言われて、
ちょっとそのあとの記憶が少し曖昧なので
説明しづらいのですが、
みんなや先生には
少ししんどくて下を向いているうちに
(うたた寝しているうちに)
気がついたら、集会が終わっていて
外から鍵がかかって出られなくなっていた。
という感じで伝わっていたように思います。
大変みんなに心配されていたとは思うんだけど
帰路のことはさらに曖昧でした。
不思議なのは、自分の状態でした。
普通なら、みんなが出て行った時に動けなかったこととか
閉じ込められちゃったことについて、どうしてああなってたんかな?とか考えたり、疑問に思ったり、不安になったりとかするはずが何も感じていない。
「あぁ、助かった、よかった〜」って安堵の気持ちになるはずなんだけど、それもなーんも感じない。
その日も確かまっすぐ家に帰らなくて
少し寄り道をして帰りました。
帰ったら、家に担任の先生と学年担当の先生がきてて、親に頭を下げていたんです。
びっくりしました。
いや、今考えたら先生というか学校の対応として当たり前なんですけど
驚いたのはそこじゃなくて、あっ私、大変なことやったのになんでこんな悠長に帰ってきてたんやろ!
とか、
こうなるの、わかっていたはずなのに、なんで早く帰ることに
気を使わなかったんだろうとかいうことにびっくりしました。
先生は何も悪くないのに、すいません!迷惑かけちゃった、どうしよう!
という気持ち。
びっくりしたのは、自分にだったんですね。
騒ぎになってたから、学校の問題となって、先生たちが謝りにくるかも!急いで帰ろうって考えたらわかる、そういう高校生だった。
なのに、そのときはボーッとした感じがずっと続いていて
なんであと先の事も考えずに長い時間かけて帰ってくる道を選んだんだろうって
「まずい」と思いました。
というよりも、帰宅途中の記憶がすごく曖昧なんですよね。
今思い出しても。
そんなに長く歩いていなかったはずだし、
自分的には、まっすぐ帰宅した、むしろ急いで帰ってはずだったんですよ。
だけど、実際には、寄り道をしているのもなんとなく記憶している。
記憶も寄り道をして、コンビニとかで立ち読みをしている自分を少し上から見ている映像として残っているところを考えると
この時私は、解離して離人感を感じていたんだろうなと思います。
解離性の健忘、記憶の抜けもあったかと思う。
帰宅途中、人格交代までいっていなくとも、解離がだいぶ濃い状態で、自分の行動と感じていない、自分のしたいこと、(まっすぐ家に帰る)とは違う行動をしているのに、それを少し人ごとのように記憶しているんです。
もしくは、自分はまっすぐ帰った記憶しかない。そんな感じなんです。
「何をしていたの?!」とか言われて親に怒られたはずなんですけど
それもまた、今となっては曖昧な記憶です。
担任の先生は、私が気分が悪かったので、保健室に集会後に行っていたものだと思っていたようで、帰るのも終わりの会が終わった時間以降に保健室から直接帰ったんだろうと思ったそうです。
ちゃんと確認を取らなかった責任ということを謝罪されていました。
私のそんな自分でも自覚していないような
曖昧な体調不良のことで、大変迷惑をかけてしまったと、とても罰が悪く、申し訳なく思ったと記憶しています。
当時の特徴としては
自覚がなかったという事。
本人的には、不思議だともまだ感じていないんです。
体が動かなかった事も、
記憶が曖昧だったり、いつもと違う行動をしていた事も
他人事に感じて、不安に思わなかった事も
不思議だと思わない。
もちろん解離とかいう言葉も知らなくて
ただただ、大変な一日だったなぁ、疲れた。。。って感覚だったんですね。
自覚のない解離や転換性症状って
きっとこんな風に、青少年期くらいに自然と日常に起こっている人がほとんどなんじゃないかなと思います。
もちろん、今はネットが発達していて
みんな比較的低年齢から、自然と検索する事もできて
不思議だと感じたら、すぐ調べられる環境になっているから
そんな検索の結果の中に、解離やら転換性症状とかも出てくるかもしれない。
だから、早い時期から、自分の状態に疑問を持つ人も多いかもしれません。
今日は、こんな感じで、
湖本の今思い出せる範囲の
転換性症状の始まりというか、
ああ、もしかしたらあれは、そうだったんだろうなぁ
って思う出来事について、書いてみました。
もし、あなたも解離の症状の自覚なかった出来事が
ありましたら、よかったら、コメントなどで、こんな私は感じでしたって、シェアしてもらえると、同じような経験の人が、不思議だったのは私だけじゃないって、不安が一つ減るかもしれません。
全てのコメントになかなかお返事すぐできないのですが
質問とかあれば、プライバシーに関わるところは匿名にさせてもらって
このブログやYoutubeなどで、お悩みのご紹介、合わせて回答やアドバイスができたらと思いますので
個別のお返事なかなかできないと思いますが
全て目を通しております。
本当にありがとうございます。
これからも、気兼ねなくコメント、いいねを
どうぞよろしくお願いします。
では、解離アドバイザー の湖本とうこでした。
今日もありがとうございました。
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湖本とうこ