こんにちは。
解離アドバイザーの湖本とうこです。
(娘とブルーベリー狩り行きました)
最近解離アドバイザーとしての活動を
スローにしておりました。
セミナーや個別相談、講座についても
新しく募集をかけることもなく
ツイッターやFBでの更新もほぼせず、
「あれ?湖本さんどこ行った?」
そう思われてしまうような状態だったと思います。
実はここ数ヶ月、
娘の学校いやいやが多く
まさしく中間反抗期。
娘と向き合うことを自分の最優先項目にしていました。
今日は、この記事では
私と育児についての学びを共有したいと思います。
ーーーーー
一番頭を悩ませていたのは
激しく学校への抵抗を見せること。
でも行ってしまえば
どーってことなくニコニコで帰ってくる
「何が嫌なの?」と聞いても
「疲れるから」「嫌だから」「眠いから」
そんな答えにわたしもつい出ます出ます。
「学校いきなさい」はまあ普通かなと。
「当たり前にみんな行ってるんだから」
「行かないなら、今日はゲーム禁止!」
「みんなは行けるのになんであなたは普通に行けないの?」
流石に人格否定はせんかったけど。
脅して、責めて、制限して。
あれれ?これさ、わたし、イッチバン嫌な言われ方やったよね?
なんで口から出てくるんやろ。なんでこんな言い方しか出来んのやろ?
自分の中の自分が「ちょっとちょっと、それはないでしょ?」な言い方ばかり。
果ては最悪。手も出て、引っ張って車に乱暴に乗せて、学校へ連れて行く。
なだめ、すかして、怒ってなんとかなんとかランドセルを背負わせる。
ずっとずっと泣いていて、学校につくと、先生に連行されるように門の中へ。
良心が痛む。
痛むんだけど、
なんでいうこと聞かないんだ!の気持ちの方が大きくなる。
モヤモヤ、イライラした気持ちで帰宅する。
毎朝毎朝、朝からどうしてこんなイライラした気持ちからスタートせなあかんねん!
全部、子どものせいじゃなくても、そんなことはわかってるけど
自分の中の何かが沸騰直前まできてて、
どうにもならない日々が続きました。
そう、わたしは
小さい頃のわたしと比べていました。
「車で送ってあげてるだけまし」
「わたしは登校班でいじめられても毎日行った」
「学校行きたくないなんて、一切言わせてもらえもしなかった」
「熱が出てても、大丈夫!と学校行かされた」
「どんなにお腹が痛くても登校班に間に合うように家を出された」
気づけば
小さい頃の自分と重ねて
小さい頃の自分をかばうように
比較して、子どもを責めてしまっていたのです。
(子どもの方が満たされて
安心できて、家の方が好きで、だから学校行かないなんて言えるんだ。)
それは嫉妬。
子どもに嫉妬。
わたしの中の見てこなかった傷ついた小さいわたしが
叫んで、嫉妬していました。
「わたしはそんな風に甘えられなかった!!!」と。
吹き出すイライラに
母子たった二人の空間はギスギスして
子どもが苛立ち、ものを投げ
わたしもものを投げ返す。
口答えも反抗も許したくない!
だって、わたしはそんなことしなかった。
できなかった。意味がわからない。
吹き出す怒りは
ずっとわたしの中でくすぶっていたんですね。
あまりにも怒りが出るので
もはや30代にして更年期か?
と漢方医に相談してみたり
はては怒りすぎて余裕なくなって
でも子どもに当たっちゃダメだと、
グッとこらえて、我慢すれば
パニックの発作の初期症状みたいなのが出て
「これは抑えてばかりではいけない感情なんだ。。」
と、思ったり。
でも、抑えなきゃ
わたしの都合で子どもを傷つけたくない。
自分と向き合う段階が
ようやくきたんだ。
そう思う自分もいました。
そうした緊迫の日々が続きました。
子どもは乱暴な言葉を使い、
蹴ったり、叩いたり。
わたしはその言葉と態度に傷つきながら
傷つくまいと、
大人の言葉と力で押さえつけようとします。
なのにけろっとした笑顔で
あるときはめっちゃ甘えてくるのです。
ベタベタして、抱っこして、おんぶして〜
これ買って〜
わたしの心は振り回されました。
嫌いなら、怖いなら
そんなことできるはずがない。
媚びてこないでよ。(甘えは媚びだと思ってしまっていた)
なんで?なんで笑えるの?
またも小さい自分と比べて
自分がしてこなかったことに対して
理解できないでいました。
でも要求に答えても
どんなに屈託無い笑顔でも
また傷つけられるのです。
それが怖かった。
「あ、そうか」
わたしは気づきました。
母は機嫌がいい時と怒る時の差が大きく
どんなに優しい顔を一瞬見せても
いずれくる、辛辣な傷つく言葉にわたしは傷ついたり
機嫌を損なう直前の母の様子に怯えていました。
わたしは娘のコロコロ変わる対応に
その気持ちの切り替えについていけない部分を
母の気持ちの切り替えについていけない昔の自分の
振り回された気持ちに
重ねて怯えていたんです。
子どもに怯え
子どもを威圧する
これではまるで
毒親まっしぐらではないですか。
自分でもこのままじゃいけないと気づいてる
でもきっかけがないと変われない
変わり方がわからない。
それが人間なのでしょうか?
わたしはこのジレンマにだいぶ悩みました。
変わりたい。
なんとかしたい。
でもできない。
わからない。
そんな日が続いたある日
そのきっかけがきました。
いつも通り反抗がひどかった娘の様子に
沸点に達したわたしの怒り。
娘は怯えて、過呼吸を起こしてしまいました。
その様子をみて
我にかえりました。
(あぁ、ダメだ。
わたしが今、変わらないとダメなんだ。
こんなに追い詰めて、こんな育児をしたいわけじゃなかった。
こんな母親ではいてはいけない。
子どもをみてあげてるのか?
寄り添えてないから、こんなにSOS出してるんじゃないのか?
わたしができることはもっともっと起こる他にあるんじゃないのか?
我慢させているんだ。
きっとずっと昔から。
だから甘えたいんじゃないか?
甘えたいけど、甘えられないから
こうして別の態度や別の言葉で
叫んでいるんじゃないか?
今、ちゃんと本当の意味で
この子を抱きしめてあげて
受け皿でいてあげて
守ってあげないと
この子は
この子の心は行き場を失っちゃう。
逃げ場所がなくなっちゃう。
自分の世間体とか立場とか
評価とか近所の目とか気にしている場合じゃないのに
ずっとわかってんのに
自分の気持ちばかり優先して
ずっとこの子を優先してあげられてこなかったんだ。)
「ごめん。ごめん。お母さんが全部悪かった。
あんたはいっこも悪くないよ!」
「お母さんが変わる!お母さんが変わるから!
大人が変わらんかったら、あかんのや!」
そう言って抱きしめました。
娘は
「わたしも学校行かな、いかんのはわかってんねん。
勉強も好きやけど、でもしたくないねん。
本当は学校も行きたいけど、でも今は嫌やねん。
わたしの胸は張り裂けそうやってん。
ここが痛くて、痛くなんねん。
ママが怒ると、ここが張り裂けそうになんねん。」
そう言って胸の真ん中をグーで押さえました。
なんて、素直な言葉で
ちゃんと自分の気持ちを言える子なんだ。
この言葉を受け止めてあげたい。
そう思いました。
「わかった。わかったよ。
お母さん、もう怒らんから。
自分の気持ちが傷つくからって理由でもう怒らんよ。
お母さん、約束する。」
気づけば、二人で大泣きしていました。
ぎゅーっと抱きしめあっていると
わたしは、なんだか小さい頃の私が
ちょうど自分と娘の間にいて
ぎゅーっと挟まって、にっこりしているような感覚がしました。
娘はにんまりしながら
私を見上げていました。
仕事よりも子どもを優先するのは
社会的にはNGなのかもしれません。
でももっと根底から見たら
いや、一番優先されるべきは
何より「子ども」なんやと思います。
それが、いつの間にか
家庭の金銭事情やキャリアの問題や
保育の問題、夫婦の共有時間の短縮、
核家族化、仕事の圧力、行政の支援目線からの圧力
めまぐるしい社会の波に揉まれ
一番大事な感覚を失いつつあるんじゃないかな?と思います。
全て子ども優先にできない母の事情があり、
ジレンマを抱えながら
毎日それこそ精一杯頑張るおかーさんたちを
理想の母親像から離れていると責めたり
自分の世代がどうとか、
虐待に繋がるんじゃないかとか
周りはどうとでも言います。
悲しいのが、おかーさんたちが
理想のお母さんからかけ離れていく自分自身をせめて、
でも目をつぶって、さらに頑張って疲弊していく中で
余裕を無くして、したくもないのに子どもをせめてしまったりして
さらに自信を無くし、孤独に孤独に悩んでいたりすること。
もっと子どもに目をかけたり
時間をかけてあげられて
なんて結構理想、夢なのかもしれません。
世の中がそうできていない。
大人の都合で時間を焦らせたり
ゆっくり家でのんびりできない子供が
今はたくさんいるんじゃないかなと思います。
それをどうこうできるほど
まだ福祉が整っていなくて
みんなジレンマ抱えながら
精一杯頑張っているのを承知の上で
やっぱり、私は
子どもを一番に優先できる世の中に
なっていくべきだと思います。
だって、子どもの心は
タイミングがあるから。
今、その時に
安心できる声をかけてあげて、
抱きしめてあげる必要があるタイミングが
あるから。
それを逃したら、
その子の長い人生に置いて
人を信用し、自分を信頼して
自分を大切にするという大事な感情を失ってしまう可能性があるのです。
対人関係やその先新たにその子が築く家庭へ
くらい影を落としてしまう可能性がグッとたかまると考えるからです。
家族を信頼できるのか
大人を信用できるのか
パートナーを信頼できるのか
果ては自分自身を信頼できるのか
で、人生の生きやすさ、生き苦しさが変わってくると思うからです。
仕事も大事だし大好きだし
解離について悩む人も多くて
相談ももっと受けてあげたいし
もっともっと頑張りたいとも思っていたけど
私は
自分の子どもの心をちゃんと見てあげるタイミングを
逃してはなるまい、と思いました。
彼女の気持ちに寄り添うタイミングを失って
心の隙間に影を作ってしまったら
何を言っても
どんな優しい発言をしようが
いいカッコしいで
全く意味がないなと思いました。
そして、今娘に対して
私が感じる自分の変化は
「イライラしなくなった」
ということ。
娘は笑顔がぐーっと増えて
前より穏やかです。
そして、娘から
「まま、もっとセミナーとか相談しないといけないよ!みんな待ってるよ!」
とまで言われる今日この頃です。
今、活動がスローですが
そのことについてなかなかお知らせできず
申し訳ありませんでした。
娘の承諾?と応援もあり
11月からはまた活動を再開できそうです。
今後も
私たち親子のリアルな想いを綴っていきたいと思います。
見られたくないこと、半人前な自分もあるけど
解離性同一性障害を抱えながらの育児では
自分の中のモンスターと小さい頃の自分との向き合いは
きっとぶつかってくる壁かと思いますので
この記事を見て何かしらのヒントを得られる人がいたらいいなと思います。
本当は、本当は
切に思うのが
仕事も大事だけど
子どものその時々のタイミングに合わせて
子どもを優先することが可能な
世の中になって欲しいです。
これは
解離性同一性障害になる子どもを
一人でも増やしたくない
という
私の切なる願いです。
解離性同一性障害は
親や周りの人がどれだけ自分に寄り添ってくれたかで
なるかならないかが決まる障害だと思うからです。
今日もブログを見ていただき
ありがとうございます。
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