一雄がこうした一時的な挫折感に落ちいっていくなかでも時間は確実に流れ、昭和12年(1938年)9月、挙母町の論地が原に月産500台をめざす自動車生産拠点が操業を始めた。彼も豊田自動織機製作所の人間から、トヨタ自動車工業の従業員になっていた。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|