キ〇タマちゃん | 若草色のねんねこ

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私は私の中のたくさんの私と生きてゆく事を誓います

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父と親子になって12年

時の流れの、なんと早いことよ!


幼稚園に通っていた頃、パパ参観日なるものがあって、パパのいない私は教室の隅で一人でお人形遊びをしていたな

先生も構ってくれず、お友達のパパが「こっちおいで」とも言ってくれず、とても寂しかった覚えがありんす
(今考えると我ながらかわいそう!)


当時、隣駅の某私立女子校の付属幼稚園に通っていて、朝は母の車で、帰りは祖父母のお迎え

周りのみんなはママが迎えに来てくれているのが少しだけ羨ましかったけど、ジジババっ子だったので、それはあんま気にせず


公立の近所の小学校に入ってみたら片親の友達もちらほらいたし


でもやはり小学校3年の時に今の父と暮らすようになって、すっごい嬉しかった!

祖父が父親のようなもんだったので、それまでも楽しく暮らしていたけれど、
お父さん
ってのは初体験!


両親が結婚する前は、父のことを
タマちゃん
と呼んでいた気がします

名前に"タマ"なんて入っていないけど..多分下ネタです


いよいよ父親になった時に、ママの事はママと呼んでいるから、タマちゃんもパパと呼ぼう!と姉と打ち合わせ

しかし、呼べず


前のパパの事をパパと呼んでいたから、どうしても無理でした

私なんてパパとはほとんど一緒に暮らしてなかったし、この当時ですでにパパの記憶なんてほぼ無かったのに、なんででしょうね

妙な未練?的なー?

とにかく、再度姉と打ち合わせして、
父ちゃん
という呼び名が一番しっくりくる!という結論に


なので我が家は、父は父ちゃん、母はママと呼んでます

今思うと、父ちゃん複雑だったろうなー


ごめんよ!


12年の間、たくさんの事がありました

中学に入った私の反抗期はひどくて、何度か母が学校に呼ばれてました..

挙句の果てには、学校に両親が呼び出され、校長に怒鳴られたり、もうほんとに情けない私の水色時代..


なんで他人と暮らさなきゃいけないの!とかわけわかんないことを思っていたあの頃は、トゲトゲしい言葉で父を傷つけ、母を苦しめてました

毎晩毎晩、私のことで両親大喧嘩

父にもボコスカ殴られ、母にもビシバシ叩かれ、それでも反抗してブーブー言ってました


高校の頃、小さな頃から父親代わりだった祖父が亡くなり、初めて家族を失うことの辛さ悲しさ苦しさを知りました

びっくりするくらい腐抜けた


それ以降、一気に落ち込んでしまった祖母の病気が悪化し、商っていた店をしめ、その間に父方の祖父が亡くなりました

父はその悲しみを押し殺して、私たちと一緒に懸命に祖母の看病をし、母を支え、私たち娘をはげましてくれました


この頃から、ようやく親子になれたのだと思います

心から互いを信頼し、支え合い、励まし合う家族

翌年、祖母も亡くなりましたが、祖父母が私たちに家族になるチャンスを与えてくれたのだなと思います


血の繋がりなんて、あんま関係ないです
12年の間に父と私の性格は、驚くほどソックリになりました

似すぎてぶつかる事もしばしば


ママが前のパパと恋をしなければ、姉も私も産まれてこなかったし、お別れして父ちゃんとママが恋をしなければ、今の私はいません

"他人の子"と言ってしまえばそれまでだけど、それでも大切に大切に愛して、育ててくれました

あー自分でクサイ事書いといて泣けてきた!うける!

本当に本当に、父は愛をたくさん持っている人です
素晴らしい!!!

いままでたくさん反抗した分、これから父に孝行したいと思います

もちろん母にも。姉も大事にします!


ありがとう父ちゃん