すべての美味しいもの好きな皆さんへ
こんにちは。
リーランです。
ちょっと閑話休題。
今回は、病院食について再び書いてみます。
ここの食事のシステムはよく出来ていて、前の週に朝食と夕食の種類を1食ずつ選べます。
パン食か米飯食かを1食ずつ選べるのがすごい!!
牛乳をヨーグルトに変えるのもOKでした。
初めて麺類(煮込みうどん)が昼食に出た時は嬉しかったなぁ。
きざみ一口食の私は、煮込みうどん。
普通食は、焼きそばでした。
初めて選んだパン食は、温かい食パンとジャム、目玉焼き、モモ缶、フルーツジュースでした。
パンが温めてあったので、美味しくいただきました。
私は出されるものは全ておいしくいただいていて、昔の義母を思い出しました。
きっと義母も病気を治して家に帰ると心に決めていたのでしょう。
翌日、ドクター、ナース、私達夫婦と義母で、病名を告知する事が決まっていた前日の夕方、泣きながら電話がかかってきました。
当時は告知するのは珍しく、義母にも重度の貧血と伝えていました。
当時義母の担当ドクターは、告知をして、本人が病気と闘うと決めると本当にそちらに向かうと話されていました。
血液のエキスパートであるそのドクターを慕って、日本中から患者さん達が集まってきていました。
そのドクターのおっしゃる事は本当でした。
どんなに医学が進んでも、最後は本人の治すという意思なんです!!と語っていた言葉が今でも耳に残っています。
同室の方々は、全て義母と同じ病気の再発の方々でした。
悪気はなかったし、翌日告知の予定だという事をご存知なかったのでしょう。
何故義母に病名を告げたのかはわかりませんが、翌日義母はドクターにはっきりと病気と闘います!と宣言しました。
それから約1年間治療を続け、義母は当時完治はないと言われていた白血病に勝ち、そこから22年生き、最後は老衰で亡くなりました。
つらい検査や治療にも弱音を吐く事もなくお見事でした。
本人の意志が病気に勝ったいい見本だったと思います。
本当に義母が食事ができなかったのは、1年間のうち2日間のみでした。
当時の病院食は、お世辞にも美味しそうではなかった事を毎日夕食を食べるまで病室にいた私はよく知っていました。
今はどの病院も工夫されているので、ずっとおいしいのでしょう。
20年以上も前の事を自分が病院食を食べる立場になって思い出しました。
今日もあなたの食卓がワクワクするものになりますように。
以上、リーランでした。
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退院後に夫が作ってくれたチャーハンと焼きそば。

