両親がクリスチャンだったので


小さい頃から教会へ行っていました。


中学生から高校生になる頃


人生の目標は人格高潔の士になることでした。


しかし教会に出入りする


牧師、伝道師、宣教師、信徒を見ていると


人格者がいるように思えなかった。


そこで親に


自分はキリスト教を信じる気は無い


そういう気持ちの人間が礼拝に出席することは


礼拝に対する冒瀆であると考える。


従って礼拝には出席しない


教会へは行かないと言いました。


親は私の言い分を暗黙の内に了解してくれました。


日曜日、私以外の家族は教会へ行き


私は家で一人で過ごしました。


独りで寂しいと思ったことは一度もありません。


寧ろ教会へ行かなくなって


解放感を味わいました。


この時、親に礼拝出席を強要されていたら


恐らく私は家出しただろうと思います。


それくらい教会やキリスト教と無縁になることは


私をリラックスさせました。


受洗したのは24歳の時。


行き詰まりを感じた頃


事の成り行きで


バイブルキャンプに行かざるを得なくなり


そこで生き方が根本的に間違っていると気付かされた次第です。


かつて祈祷会で受洗に至る証しをした時


司会者の中年の男性に


祈祷会終了後


「貴女は奥手だね。」とにっこり笑って言われました。


そうなのね。万事、奥手です😅