リビングにクリスマスツリーを飾った。
毎年、一種類、オーナメントを増やそうかなって思ってたけれど、
今年はいいものが見つかっていない。
ツリーの足元を隠すようなグッズがほしいなあ。
いただきものの、使っていない木のワインセラーを割って作成しようかなと思っているわ。
推し文化全盛期に、推しって必要なの?って。
考えてみた。
私も小学生のころは、スヌーピーという推しがいた。
かわいいと思ってはまったんじゃない。
何かにどっぷりとはまることに憧れたのだ。
おこづかいをつぎ込んで、筆箱から鉛筆から下敷きから、ポーチからスヌーピーだらけにして、
数十人いるキャラクターの名前も覚えた。
A版くらいのすごく大きなキラキラしたポスターを父が買って来たのを喜んで部屋に飾ったり、
身の回りのものをスヌーピーだらけにすることが2年くらい生きがいだった。
妹が真似してスヌーピーグッズを集めようとしたら、あなたは別物にして!!ミッキーにしなさいよ、って言ってみたりしてたわ。それに対して、なぜか妹はすんなりミッキーフリークになってたわ。
(いまだに、お姉ちゃんにあなたはミッキーよって言われたって、延々言われる・・・)
その後、これも小学生のころだけど、一世風靡したジャ◎ーズ系アイドルに半年だけ、どっぷりはまったこともある。
まわりの子たちがみんなそのグループが好きだったから、だれかを推さなくっちゃいけないかなって。
妹と、誰にするか棲み分けをして、うーん、じゃあ私は〇〇くんのファンになるわって、決めた。
周りの9割の子が〇〇くんファンだったあの頃。
はまってみると、楽しいもんで、
友達が、アイドルの◎△くんと将来結婚するんだ!!って小学生らしい発想でアイドルとの結婚を夢見ているのを聞いて
「その発想、すごい!自分と身近な人みたいに、アイドルとの出会いを考えているなんて!!」
と、単純に感動しちゃって、自分でも考えてみたりした。
ファンでいる気持は長続きしなかったけれど・・・
その後、アイドル〇〇くんはモテすぎて、本人も豪語するほど多数の現地妻がいたことを知った。
大量の恋人がいても本人の勝手だけど、当時、アイドルがそうあってほしくなかったな。
その後は、好きな漫画のキャラとかはいたけれど、推すほどは好きでもなく。
高校のころは、スーパーモデルのクリスティー・ターリントンの上品でかっこいい美しさに憧れたりしたけれど、
やっぱり推すほどでもなくたまたまテレビや雑誌で見れれば満足。
わざわざグッズを買うということがなかった。
周りに、推し活がすごい人ってけっこういる。
めちゃくちゃうれしそうに推し活を語る。話のネタにもなるし、本人楽しそうだし、目が輝いてる。
アイドルだったり、テーマパークだったり。
ディズニーリゾートが好きな友達は、家族関係がうまくいってない時期に、とにかくディズニーリゾートに行ってた。
1年に数十回行ってたこともあった。
それで心が満たされると。
その子のことは好きだし、私も10年に一回くらいならディズニーリゾート行ったら楽しめるなと思う。
でも、虚構の世界やん、と心のうちで、醒めたことを思ってしまう。
アイドル好きで、全国回るだけでなく、アメリカツアーまで追っかける子もいる。
その子は、スタート系(旧ジャ〇ーズ系)アイドルがすきで、推す人をたまに変えては貢ぎまくっている。
あの子は、心意気がいいとか、努力がすごいとか、性格がいいのとか言って。
正確なんて現実に分からないのでは??って思ってしまう。
スポーツ観戦も、他人の試合じゃん。と思ってしまう。
推し活が私には向いていないようだ。
推し活の熱が、私は怖いのだ。
たぶん、熱狂すると、私はどこまでもずぶずぶ行きそうで。お金も時間もじゃんじゃん使って。
廃人級に何かにはまるのが怖い。
そういえば、私の最後のはまりは、ガーデニングだった。
オープンガーデンや、有名な庭を、全国に見に行ってた。
自宅の庭も、狭いのにどんだけ植えるんだってくらい、植物を植え、
好きな置物を庭においてたわ。あれは、楽しかった。
今は、ほどほど楽しむ程度に・・・
私の場合、スヌーピーのときも、ジャ〇ーズアイドルのときも、最初に、
さて、だれにはまろっかなーっていうのがある。
だから、推し活って、あくまで虚構やん、対象が好きっていうより、
推し活しているその状態に自分が行きたいだけやんって、どうしても思っちゃうのだ。
世の中には、ほんとに自然に何かを好きになる人がいるんだろうなとは思うけど。
推し活にせよ、ホストにせよ、アニメにせよ、(もしくは宗教にせよ)、何かを推す心地よさって何だろう。
その人や対象に貢いで、働いて、貢いで、崇める。
世界の中心にその人、そのキャラ、その世界観を置いて、
自分のいる世界が推しに繋がっているって、
現実とは違う価値観を現実に投入したり、
はたまた現実とは違うバーチャル世界に没入したり(今やバーチャルも現実になりつつあるけど)。
娘に言わせれば、私が旅行好きで、家族旅行によく行くのは、推し活と同じらしい。
「例えば金沢に行ったら、金沢の日常は別で流れていて、観光地には観光地としての顔を作るため、現地の人は鼓門やらホテルやら観光客向けにいろいろ施設を作るじゃない。
海鮮で有名な近江町市場だって、旅行客向けの顔にだいぶなってるじゃん。
そこに旅行客は行って満足をする。
金沢の非日常を旅行客は体験する。
それってハリボテじゃん。お金かかるじゃん。」
現地で現地の暮らしを体験することもあるけど
ほんとに現地の実生活を体験して現実となるのは、移住だ。
旅行は旅行。非日常だから旅行なのだ。
とはいえ、旅行は推し活ではないし、古来からの有名な寺社とか滝とかはハリボテとは違うような気もする。
小説やアニメの非日常に没入する時間って楽しい。
現実の自分の世界のようには責任感を背負わずに、無責任に非日常を体験できる。
人間は、非日常や非現実を求めるの生きものなのだろう。
それって、他の動物との大きな違いかもしれない。
目的もなく、非日常を漂う時間なんて、自然界では自殺行為に近い。
その理由は、苦しいから、とか疲れたからという人もいるし、
ただ楽しいからという人もいる。
そして、非日常を現実に取り込みたいというのが
推し活だったり、旅行だったりするのかもしれない。
ある人は、現実には鬱陶しい配偶者がいたり、ある人はやりたくない仕事をしていたり
浮気はできないけどときめいてみたかったりするかもしれない。
でも、推し活なら公然と推しに愛を叫べる。
「清純担当◎◎です」「小悪魔担当△△です」
とか、担当するイメージまで言うアイドル、茶番過ぎて嫌いだが、
それでもファンが良しとするのは、けっきょく推し活は「ごっこ遊び」だからだ。
小悪魔女子を応援したい、あ、△△ちゃんは小悪魔という設定なんだ、じゃ、△△ちゃんを推そう。
推し活は、大人が公然と愛を叫べる、高尚なる「ごっこ遊び」なのかもしれない。
非日常にひたりたいから、スマホの画面にくぎ付けになる。
なんでここではないどこかに行きたいんだろ。こんなに。
ただ、仕事の人間関係で疲れていたりすると、一度読んだ話を何回もループしたり、
別世界にとりあえず没入したくなることってある。
非日常というのは、心を保つのに一定の役割があるとすると、
こうなってくると、推し活にはまりすぎるのが恐い、というのは、
程度問題ということになるのかもしれない。
小説や漫画、アニメを見ること自体には問題がない。
歌手やアイドルを愛でるのも問題ない。
ただ、現実の全てを背負って、推し活に没入すると、痛い目にあうことがある。
推し活界の他人との戦いになったり、現実生活に困るほどの多額のお金をつぎ込んだりすると
非日常が現実を潰しにかかってくることになる。
悪い意味で非日常の世界に半分異世界転生している状態となる。
結論、何等かの非日常体験は人間には必要。
推し活は、その中で、やる人がいるのは理解するが程度問題。
推し活は尊いっていう風潮があるが、羨ましいかというと、私は羨ましくない。
私の場合、無理に推す人を決めて、そのために働いて貢ぐより、現実に家族に投資して喜んでもらう方が、心がうれしいからだ。
ただ、その考え方が推し活する人よりえらいわけではない。
私が自然と見知らぬ誰かを推す心境になかなかなれないタイプだというだけだ。
小説とか漫画とか世界がそもそも非日常のものが向いているのかもしれない。























