久しぶりの更新です。

で、さっそくですが、夫と別居しました!

というのも裁判所の命令を受け入れたので、夫は出て行かざるを得なくなったというわけです。

 

詳しくお話しましょう。

去る4月17日「接近禁止命令にかかる召喚」で私と夫双方が家庭裁判所に赴きました。

実は、夫は当日の裁判を3月初旬に逮捕された件に関する裁判だと勘違いしていまして、弁護士と全く打ち合わせをしていませんでした。そのため当日朝慌ただしく家を出て行き、取り急ぎ弁護士と話し合ったようです。

さて、私の方はというと、午前10時にDVリソースセンターに行き、スタッフと軽く打ち合わせして、スタッフ同伴で裁判所に向かいました。開廷は朝10時半。とはいえ、裁判は私の件ばかりではないし、担当弁護士の事務所が手配した通訳さんが列車の遅延で遅れてくるとのことで暫く待つことに。

そこで担当弁護士と最終打ち合わせをしたんですが、その弁護士の戦略というのが、夫からのレイプを訴えて「接近禁止命令」を勝ち取るというものでした。ガーン

いや、まぁ、育児と家事+介護(夫の股ぐらに薬塗ったりetc.)でその気になれない、その気も失せる状況で“強要”されたので、レイプが成立するわけで、でも・・・なぁんかね・・・微妙・・・…と思ったんですが、「別居をするには“情けは無用じゃ!”」と自分に言い聞かせて打ち合わせに臨みました。

ただ、弁護士さんが考えていた状況とは違っていたのか、何度も何度も「こんなことはなかった?」「じゃぁ、こんな時は?」と訊ねられました。

期待していた答えが返ってこないから、色々訊いてくるんだなとわかりましたよ。でも、嘘は言えねぇ・・・。夫と別居したくても、嘘だけはついちゃなんねぇ・・・。うん

とにかく正直に答えました。酔うと人が変わるし、暴言吐くし、アルコール性の下痢で何度もトイレに間に合わず、私がいつも掃除してたこと。そんな状況だから性欲なくしたけど、求めに応じないとずーっとぐじぐじ言われて仕方なく応じたことが何度もあると。

 

さて、正午近くにようやく自分の番になり、私と夫、双方の弁護士、ダブリンから来ていただいた通訳さんがコートルームに入りました。

夫の担当弁護士の専門は家庭法より刑事法で、しかも当日に話を聞いたため準備不足を理由に延期を求めてきましたが、裁判長はこの召喚を2か月前に知らせているし、通訳はダブリンから来てるから延期はできないと拒否しました。

で、担当弁護士から申し立て、通訳さんと私が証人席で宣誓して、担当弁護士からの質問に答えました。

実は裁判所内って声が聞き取りにくいんですよね。通訳さんつけてもらって助かりました。弁護士さんが訊ねてきたことは概ねわかったんですが、たまに聞き取れなかったたり、文脈がハテな部分もあって・・・。また、自分のしどろもどろの英語で答えるっていうのもね・・・。顔

それで、打ち合わせ通り私ら夫婦がどんな状況だったか、どんな状況で「強要」されたのか話しました。こんな時って母語でもしどろもどろになってしまいます。

だって、酔って帰ってきて、トイレ間に合わずに何度も下着やジーンズ汚して、それを洗うのは私。はたまた台所やソファーで脱糞して掃除するのは私。肥満体の夫の股ずれ、(たぶん)ぢの薬を塗るのも、薬塗る前に股間や尻周りを綺麗するのも私。そして股ずれに塗る薬の臭いにきつさやこんな状況では性欲なんてわかない云々を話すわけですから・・・ガーン

ただし、ここで夫が「もういいです。これ以上聞きたくない。接近禁止命令を受け入れます。」と言い出しました。

そりゃぁ、彼もショックでしょう。彼にとっても恥でしかない話ですからね。

結局夫の担当弁護士からの質問はなく、訊ねられたのは息子への面会の権利のこと。

週3回、学校が終わってから2時間会うことで合意しました。

 

ということで、4月17日から3年間、夫は家や私と息子(面会日を除いて)に近づくことを禁ぜられました。

正直言うと、嬉しい反面「突然彼を追い出した」と良心の呵責を感じました。

でも、だからと言って仏心を出して元の生活に戻ったら“地獄”に逆戻りですしね。うえー

育児ノイローゼになりかけたり、鬱になりかけたり、自殺まで考えた日々に戻りたくない!人生やり直すんだ!今までの息子への悪影響を考えろ!これからは自分と息子を優先するんだ!と自分に言い聞かせましたよ。

 

さてさて、念願の別居がかなったわけですが、良い事ばかりとはいえず・・・

実は配偶者ビザが切れたまま、オーバーステイ状態です。ムンクの叫び

もちろん更新の申請はしていますが時間がかかるとのこと。

そのため公的な援助を申請しても助けもらえません。ソーシャルウェルフェアオフィスも状況はわかるけど、オーバーステイ状態では助けられないとのこと。当たり前ですよね。ガーン

別居や離婚申し立てする前にビザの期限や関連事項をチェックしておくべきだったと遅ればせながら反省しました。号泣

 

公的援助を求めることができないとわかった時はさすがに涙がでましたが、泣いてたって仕方ない。

ビザのスタンプが押されたパスポートが戻ってくるまで貯金を切り崩してサバイバルするしかありません。いやぁ、貯金しといてよかった。顔文字 

そして別居を伝えた姉が心配してレトルト食品などを送ってくれたので、まぁ、どうにかなりそうです。ってか、どうにかして生き残らないとね!頑張る

 

さぁ、念願の別居が始まったわけですが、まずはこの別居生活1年、そして離婚手続きで+4年・・・。まさにこれからスタートです。

大変なこと、面倒なこと、まだまだありそうですが、人生再構築のために頑張ります。キリッ

 

 

 

 


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