イースター蜂起とは
Wikipediaーイースター蜂起 より抜粋)
1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起である。日本では復活祭蜂起とも呼ばれる。この蜂起はイギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的でアイルランド共和主義者たちが引き起こしたものである。

今年、アイルランドは、このイースター蜂起100周年に当たる節目の年でして、年明けに『リベリオン』というミニシリーズのドラマが放映され、先月は『1916』というドキュメンタリーも放映されました。
今年のイースターサンデーは3月28日。ダブリンのGPO(ジェネラル・ポスト・オフィス)前で、盛大な式典が執り行われると思います。

イースター蜂起から100周年

※ダブリンの中央郵便局(GPO)

また年内は、イースター蜂起関連イベントが各地であるようです。
なお、100年前、イースター蜂起が起きたのは、4月24日のイースターマンデーの日から4月30日までで、未確認ですが、この期日に合わせた関連イベントもあるとか、ないとか・・・。

さて、もう少し詳しくイースター蜂起のことを紹介いたします。
そもそも、この蜂起が起きるきっかけというのが、アイルランド自治法案が可決されたにも関わらず、第1次世界大戦勃発のため延期され、自治法が実施される目処が立たないために起きました。
ただし、蜂起の計画は、英国の対独宣戦布告の数日後から始まっており、決して行き当たりばったりのものではなかったようです。
しかし、蜂起を決行する直前で色々トラブルがありました。
まず、武器をドイツから調達する予定でしたが、武器を積んだ偽装船が、現地の義勇軍との会合に失敗し、さらに英海軍に発見されたため自沈しました。(当時は第1次世界大戦中で、ドイツは英国の敵国ですので、当然ですね汗
元々イースターサンデーに蜂起する計画でしたが、この武器調達失敗を受けて、中止命令が出されました。
恐らくこの武器調達失敗や、英海軍による無線傍受の情報を受け、ダブリンの義勇軍指導者たちは混乱していたのかもしれません。地方でもイースター蜂起をする計画でしたが、矛盾した命令がいくつも出されたため、義勇軍が解散したところもあります。
結局大々的に蜂起が起きたのはダブリンでしたが、占拠した建物は次々に英軍に鎮圧されました。最後まで持ちこたえたのはGPOでしたが、英軍の圧倒的な攻撃と、補給も退却も難しい状況のため、義勇軍は無条件降伏しました。
降伏後、指導者たちは逮捕され、軍法会議にかけられ死刑が宣告されました。
共和国樹立宣言に署名した7名を含む15人が銃殺刑になりました。そのうちの一人、ジェームズ・コノリーは戦闘で負傷し、瀕死の重傷だったため、椅子に縛り付けられて銃殺されました。
ドイツから武器調達の手配をした者(ロジャー・ケースメント)は、反逆罪で英国内で絞首刑に処されました。

イースター蜂起から100周年

※ジェームズ・コノリー 

蜂起自体は失敗に終わったわけですが、指導者たちが蜂起数日後には処刑されたため、それまで蜂起を快く思わなかった者たちが英国政府を非難するようになり、アイルランド独立の機運を高めていくことになりました。

さてさて、この蜂起で戦った多くの義勇兵や市民兵の多くはボランティア兵で、イースターマンデーの翌日は通常どおり仕事に行かなくてはならない者が多くいました。仕事を休むと、日当がもらえず、自分も家族も食べていけなくなるからです。
ダブリン市内にセント・スティーブンス・グリーンという市民の憩いの場があり、そこのパーク・キーパーも義勇兵として参加していました。が、公園内の水鳥たちの餌やりも彼の仕事だったため、1日2回、餌やりのため、持ち場を離れていたとか。(ちゃんとリーダーの許可をもらって、餌やりに行っていたようです)
なんか、こんなところが“アイルランド人らしい”なぁ、と思います。汗
それから、蜂起が起きて、義勇軍の指導者たちが困惑したのが、ダブリンのスラム街の貧民による略奪。誰も彼らを制御できなかったようです。

そして、英軍は一般市民に対しても容赦なく攻撃をしています。
リフィー川沿いの道では、道を渡ろうとした盲目の老人が銃撃され、その老人を助けようとした救急隊員も撃たれ、その場で死亡しました。
玄関口で戦闘を見ていた少女も撃たれました。
ある男性は、窓越しに知り合いに手を振ろうと手を上げた時に撃たれました。英兵はその人が「爆弾を投げる」と思ったから撃ったとか。がーん

蜂起後、アイルランド独立戦争、内戦と発展していくわけですので、この蜂起は、すべての始まりだったと言えます。
ただし、内戦が終わっても、北アイルランド問題が残りましたので、決して平穏ではありませんでしたし、約20年ほど前まで、アイルランドは西欧の最貧国で、移民を出し続けました。
そのためなのか、1970年代からアイルランド政府が記念式典を取りやめてしまい、再開したのは2006年になってからだとか。かお
自分たちの国を取り戻すために、多くのアイルランド人が大英帝国に立ち向かい、数々の困難を乗り越えて独立を勝ち取った先人たちは、称えられて当然でしょう。
苦難の歴史を生き抜いた先祖をしのび、現在のアイルランド共和国に至る“すべての始まり”であるイースター蜂起を記念し、語り継いでいくのは子孫の努めです。

この記念すべき時に居合わせたことを、感慨深く思います。





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