20年来の知り合いいる? ブログネタ:20年来の知り合いいる? 参加中

私はいる 派!

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知り合い?いやいや、仲間ですわ。

同じ釜の飯を食った仲

多感なお年頃、部活動等の目的で同校へ集まり、同じ釜の飯食って、共に泣き笑いした仲間がいます!

しかもあと1年ほどたてば知り合って30年になるという。

あ、内一人はすでに30年、いや、40年来がいました。汗


私が選んだ高校は、吹奏楽・マーチングバンドでは有名な女子高でして、その吹奏楽部に入るには自宅から通学できないので、必然と寮に入りました。

大好きな吹奏楽、マーチングのためとはいえ、寮生活は辛かったです。

というのも寮生活も部活も恐ろしく厳格な縦割り“社会”でしたので、それまで甘ったれてた私には別世界でした。

部活はまぁ、大抵どこも先輩後輩関係がありますが、寮もそれに負けず劣らずの厳しさでした。

食堂では食器・箸の色、座る場所が決まってました。浴場と脱衣場は出入り口に一番近いところが一年生の場所でした。髪の毛で排水溝が詰まると、体を洗っていてもすぐにそれを取り除きに行かなくてはならないんですが、気づくのが遅かったりすると2~3年生から「1年生!髪の毛詰っとるけん!」とお叱りの声が・・・えっ 

脱衣場ではすぐ床が濡れるので、それを拭き取るのは1年生の仕事(1年生がいない場合は2年生)。で、ここも気づくのが遅いと「床の濡れとるよ静怒!」とお叱りがくるので、常に気を張り詰めていながら脱・着衣したものです。そして浴場や脱衣場を出る際「あとお願いします!失礼します!」と挨拶をしていかなくてはなりませんでした。1~2年生の間お風呂の際に毎回言いました。


吹奏楽部は文科系でも結構体力を使うところでしたし、マーチングの練習の時は部活のジャージは汗だくになってました。でも寮生が多かったため洗濯機は3年生と2年生、体育系部活の1年生が使うことを許されていて、吹奏楽部や部活に入っていない1年生は手洗いで洗濯しなくてはなりませんでした。そうそう、親に電話して洗濯板送ってもらいましたよ。

寮の各部屋や通路では「3人以上集まるな」と言われていましたし、1年生だけで3人以上集まれるのは寮内ではその洗濯している時だけでした。そうすると話に花が咲き、時に声が大きくなったり笑ったり。そしてその洗濯室が階段に面していたので、そこを通る2年生や3年生から「1年生!せからしか!ごるぁ」とよく叱られたものです。あはは


さて、それぞれの部屋でも息が休まる暇はなく、3年生から1年生まで混合でした。ひぇ~

部屋入ってすぐ2段ベッドが2列、1段だけのベッドが一つ、ロッカーが5つ、畳が4枚敷かれて、そこに折りたたみの机が5台。でも畳の上で勉強したのは3年生の時だけ。それまでは朝・晩の点呼の時、掃除の時、教科書の準備をする時だけ畳にあがって、それ以外は自分のベッドで過ごしました。

人によってはあまりにも厳格すぎる先輩・後輩を関係を嫌ってた3年生もいて、そういう部屋に当たれば多少楽だったと思います。


とにかく気が休まるのは教室だけでしたね。

最初の1年間は気が休まらなかったせいか、年度が替わるころ疲れが極度にたまっていたせいか酷い下痢になって立ち上がれないときもありました。ちーん

父から「ぬしが行ったところは女子刑務所や?」といわれたことも・・・苦笑



そんな“女子刑務所”と揶揄されるような寮で生活できたのも、共に悩み、泣き、笑いした友達がいたからこそ耐えられたと確信しています。

もちろん吹奏楽やマーチングで同じ高みを目指していたからですが、それも彼女たちがいなくては達成できませんでした。

そしてそんな厳しい環境でお互い支えあってきたからこそ、今でも続く友情を築き上げることができたのではないかと・・・。


3年間の寮生活中、喧嘩もしました。仲直りできたこともありましたが、できなかった人もいます。

卒業してそれ以来の人、卒業後しばらくはやり取りしていたけど、そのうち音信不通になった人もいます。

そんな中、一人はブログで、また一人は時々メールで、ある一人は必ず年賀状をくれます。

この3人以外でも里帰りの際にはちょっとした同窓会をアレンジしてくれる人がいます。

この同窓会に1年下の後輩を呼ぶことがあるんですが、彼女の話では1年下は私たちほど現在は親密ではないとか。

友達冥利に尽きるってもんです。きらーん


母からも「よか友達に恵まれたね!ありがたかよ!」と里帰りする度に言われます。


辛かったり、不便な思いもあった寮生活でしたが、生涯の友を得て、その彼女たちと一緒に過ごしたあの3年間は何物にも変えがたい宝です。にこ。






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