当事者は実家の父なんですが、当人より私のほうがくすぶっています。

本日は私のモヤモヤ感を皆様にお裾分けいたします。矢印こらこら・・・汗



どなたか2009年8月24日にテレビ朝日【報道ステーション】で特集放送された『閔妃(ミンピ)暗殺事件 日韓114年目の氷解』をご覧になった方がいらっしゃいますか?


思い出すたびに不快になる


これは2005年に制作された『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』というドキュメンタリー番組を基につくられたものなんですが、積極的にこの企画に協力したのが熊本の市民団体で《明成皇后を考える会》なんです。

そこの世話人から2005年の夏頃に私の父宛に連絡がありました。

実は父の大叔父がこの暗殺事件に関与していまして、大叔父の存命中、この事件について何か聞いていないかということでした。

大叔父は事件後広島の獄舎に入りましたが、保釈金を払い釈放され、その後また朝鮮半島に渡って新聞社を経営していました。終戦まで日本と半島を行ったり来たりしていたようですが、父はそのことは記憶にない、というか会ったこともなかったようで、しっかり覚えているのは、引き上げ後暫く実家の寺に身を寄せていた時に、大叔父一家へ米を渡しに行ったことぐらいで、事件のことなど聞いたこともないということでした。

しかしそれでは納得いかなかったのか、その世話人から勉強会に誘われたり、なんとその年の10月8日閔妃の命日の墓参団に参加しないかと誘いがきたのです。

父はたまに優柔不断でして「どうしようか」と迷っていました。

珍しく私にどうしたものかと尋ねたので、速攻で「ダメ!下手すると殺されるばい!」と猛反対しました。


2005年の5月にやはり暗殺事件に関与した者の子孫が訪韓しまして、閔妃の陵墓前で土下座謝罪したことが地元ニュースや新聞に載り、その後暫くその関連記事が掲載されたんです。


思い出すたびに不快になる

  

その当時の私は朝鮮半島のこと、現在の韓国のことに全く無関心でしたが、土下座謝罪の写真や「先祖が悪いことしたから子孫の私が謝らなければならない」的な記事に不快感を覚えました。

墓参団の募集要項をみると“謝罪”のことは明記されていませんでしたが、もし行けば「土下座謝罪させられる」と容易に想像できましたし、

「何故、父が、血の繋がりがあるとは言え、父が生まれる何十年前のことを、大叔父がしたことを謝らなければならないのか?」

このことが一番納得がいかず、父の韓国往きを猛反対して止めさせました。


その時は私もそれで「この件は終了」だったんですが・・・

東日本大震災後、「何故、同じように日本から支配を受けた台湾は親日で、韓国(朝鮮半島)は反日なのか?」と疑問が生まれ、自分なりに日韓併合のこと、閔妃暗殺事件やその前に起きた同妃暗殺未遂事件(壬午事変:じんごじへん)、併合前の李朝朝鮮がどんなものだったのかを調べました。

 ※後日わかったことなんですが、大叔父は王妃殺害組ではなく、彼女の夫の父、大院君救出組でした。


もう、ねぇ、「一体どの口が“正しい歴史認識を”って言うとんじゃぁ!ごるぁ」の一言です。

その《明成皇后を考える会》の考えも超一方的なんです。

この団体、元・現役教員20名くらいで結成したものなんですが・・・わかりますよね。日教組の先生方です。

+左派リベラルの人たちが数名名前を連ねていまして、名簿の後半にはご丁寧に“事件関係者の子孫”として父の名前もありました 。かお 

そして、この中に事件に関与した人の甥の妻という方の名前もありまして「え汗血の繋がりないし汗 けど、この人も5月の訪韓のときに地べたに正座して謝罪してたわポカーン」と驚きというか、何とも説明できないモヤモヤ感が・・・sss


暗殺を肯定はするつもりはありません。100年以上もたって今更ですが他に閔妃を排除する方法はなかったのかと思います。この事件は日本を不利な立場に追い込みましたからね。

なお、《考える会》の資料では、計画から暗殺実行はすべて日本人の手で行われ、朝鮮人閣僚数名が協力したように書かれていたんです。そしてドキュメンタリーでは「王妃は国を守るためにロシアを頼り云々」とナレーションがあったんです。

「嘘を言うな!ごるぁ」です。

この王妃は国・民衆のことなど全く考えていませんでした。彼女が守りたかったのは自分が生んだ王子 坧(後の純宗)の健康と王位への確約、それと彼女や彼女の一族閔氏の栄達だけです。そのために国庫の6倍に及ぶ金額(国費)を祈祷や布施のために使い込みました。

王妃は始めこそ親日派で開国に意欲を見せていました。軍隊を新式(日式)にし、それを重宝する傍ら旧式軍隊は無視され13ヶ月も給料未払いとなり、それは壬午事変の原因となりました。その時、宗主国 清の助けを借りたため、清へ事大することとなり、反日へ。これは日清戦争の原因ともなりました。しかし、清は戦争に負けたため、今度はロシアの助けを借りようと親露派へと転換・・・。この間も彼女の一族に取り入ろうと賄賂・汚職が横行し、彼女に反旗を翻すものは流刑や処刑の憂目にあいました。なお、夫 高宗の父、大院君は反閔妃派で、大院君は閔妃やその一族を排除しようと目論んでいましたし、閔妃も舅を排除しようとしていました。


さて、現在も同じことがいえますが、国と国との関係は“仲良しこよし”ではないのです。ロシアはしたたかに南下の機会を窺っていましたし、その当時の世界の共通認識として「弱い国は強い国から支配されるもの=植民地化」でした。日本はこのことを一番恐れていましたし、もしロシアが半島に南下してきたら、次の標的は日本になる可能性は大でした。

だから朝鮮を開国させて、欧米と同格になるべく内政・教育・経済の建て直しを推し進めたんですが、李朝の王室はそんなことどうでも良かったし、たぶんそのままどこかの属国でも王室さえ安泰なら、あえて独立しなくても良かったようです。だから朝鮮を憂う政治家や、それに同調する日本人(官僚や言論人)は強硬手段に打って出たんじゃないかと思います。

ちなみに、王子 坧は暗殺事件でその場を目撃していて、「母を殺したのは禹 範善だ」と証言しています。


なのに!《考える会》の資料には日本=悪で加害者、朝鮮=善で被害者になっていて、閔妃の毒婦ぶり、その当時の朝鮮民衆の悲惨な生活のことなど全く無視です。・・・・・・!!!

資料というなら、日本側からの視点、朝鮮側の視点、そして第三者の視点から分析したものを揃えるべきでしょう。そしてドキュメンタリーで「この暗殺事件が韓国の反日感情の発端になった」って・・・かお 

それ以前から“朝鮮は中華の正統な後継者”で“日本は野蛮な島国で、日本人は猿”と蔑み、その猿が朝鮮人を支配することが我慢できなくて反日になった、これですよ。

それでも日韓併合時代は朝鮮は親日の人が多かったのも事実です。けれど資料にはそんなこと書いてありませんでした。!!!


それからもう一つ、私を不快にさせたものが。それは地元新聞の「新生面」(天声人語みたいなもの)。

そこに韓国のテレビドキュメント作家、チョン・スンウ氏を交えた会話を引用しながら、


(後半だけ抜粋)

 ▼歴史認識もいいが、比較文化の研究もすべきだろう。「大賛成です。しかし、李朝末期は最も文化が咲き誇っていたころです。その花園を荒らしたのはだれだったのか。」ビデオカメラ一台抱え、ほとんど単独で閔妃事件を追っているチョンさんは柔和は顔をしながら、実にタフである。


はぁ? 文化が咲き誇っていた?イザベラ・バードは『朝鮮紀行』で「ソウルには芸術品は全くない。園もない。見るべき催し物もない。劇場もない。他の都会にある魅力がソウルには全くない。」と書いてるよ。中華に事大するだけで、文化らしい文化も育んでこなかったじゃない。働くことは卑しいことだったから、職人たちのでき前はお粗末なままだったじゃない。日本のものは芸術の域に達してるよ。

“花園”ねぇ・・・。回虫の卵てんこ盛りの“黄金の花”は至る所で咲き乱れてたらしいけど・・・汗☆ って、新聞社に抗議しようかと思いましたよ。



わかってます。今ここでこんなこと愚痴ったって仕方ないことだって。

思い出したくもないけど、不意に《考える会》のことが脳裏をかすめます。会自体いまだ活動をしているかはわかりませんが、個々で反日講演しているのは知っています。里帰り中にもメンバーの一人が「朝鮮半島への加害行為を忘れるな」とどこかで講演していたことが熊日新聞に載ってましたから。

こういうのを見たり、聞いたりすると・・・。ねぇ。・・・ショック

そして、一人悶々と、ぶつくさと文句を言ってしまいます。



まぁ、別の角度から見れば、私に日韓関連の近現代史を学ばせる原点になったのではないかと思うとそれなりに意味があったと言っていいでしょう。ふー


とにかく、本日は思いのたけをぶちまけました。

あぁ すっきりしたぁ。すっきり

                                                       (Mrs.G)

                                     

                                      参照元: Wikipedia-閔妃

                                            Wikipedia-乙未事変

                                           




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