最初の記憶は幼稚園時代。
漫画雑誌の挿絵にあった「光子ロケットの発射」の画。
今でも朧げに記憶に残っている。
その頃は空想と現実の区別がつかず、人類はすでに宇宙を旅していると
信じて疑っていなかった。
それから数年経ち、小学生になって、多少の分別はつくようになったが、
未知の事柄への関心はいっそう高まった。
大人になっても興味関心の対象はそうは変わらない。
しかし「見えない世界」とは言っても関心は「心」や「命」の分野へ移った。
「心」とは何か。「命」とは何か。
人はどこから来て、どこに行くのか。
手塚治虫先生の「ブッダ」が最初のきっかけだったと思う。
「火の鳥」では輪廻転生について考えた。
十数年前には、サイババを知り、彼の言葉に衝撃を受けた。
「あなたと私の違うことはひとつしかない。
私は自分が神だと知っている。しかしあなたはそれを知らない。
私は神だが、あなたもまた神なのだ。」
そしてニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」に出会う。
その「神」は、とても気さくに、砕けた言葉で語ってくれた。
「神はすべてを知っている。万能であり万物を創造した。
しかし唯一、出来ないことがある。それは『体験』だ。
それを望んだがゆえに、肉体を創造し、そこに自身を分け、入れた。
それが人間である。」
つまり私もあなたも、その「命」の本質は「神」である、ということだ。
そして神道では、同じ概念を「分け御魂」と呼ぶことを知った。
今や私の中では、「命あるものはすべて同じエネルギーの違う形態」として
認識されるようになった。
他者は自分の他の一面にすぎない。そのことを出来るだけ思い起こすように
している。それが今の私の「神との対話」である。