さんづけと人生

先日、ある企業の若手社員の
訪問を受けた。
2人の男性がやってきたのだが、
聞けば入社3年目の「同期」だという。
しかし、2人が話すところを見ていると、
どうも違和感がある。
彼らはお互いを
「さん付け」で呼び合っているのだ。
※DIAMOND onlineより
▼違和感?
少なくとも僕は違和感はない。
なぜなら新入社員時代から、
同期のことは基本的に
「さん付け」で呼んできたからだ。
一方、冒頭の記事の筆者らは
以下のような感想を述べる。
「家族に「さん付け」する人は
めったにいないだろう。
私にとって同期への「さん付け」は、
それくらい不思議なもの」
一体どういうことだろう?
▼感覚の違い
つまりそういうことだ。
「就職すると
学生時代の仲間とは一旦疎遠になる」
ここまでは
世代の違いに関係なく同じだ。
ところが筆者らは
「下積み時代を共にする同期は、
唯一ホッとできる相手だ。
だからこそ、
「同期への「さん付け」など
あり得なかった。」
と当時を振り返る。
曰く「さん付け」は
よそよそしさや疎遠さを感じる、と。
学生時代の仲間は
「さん付け」しないのに
なぜ同期は
「さん付け」するのだ、と。
確かに言わんとしていることは
分からなくもない。
だが例え同期だろうと旧友だろうと、
公的な場での仕事中に
相手を呼び捨てにしたり崩した呼称で
呼び合うことで、当事者以外の人が
不快な思いを抱く場合もある。
「なんだか品のない会社だな」
そう感じる人だっているのだ。
▼呼び捨てはいけません
僕が小学校低学年のころ、
名前の呼び方に厳しかった
担任の先生がいた。
暴力的・差別的な表現を含む
あだ名は言うまでもないが、
その先生は
名前を呼び捨てにした場合も
厳しかった。
授業中はもちろん、
休み時間中や給食の時間、
放課後に至るまで、
呼び捨てで名前を呼ぶ声が聞こえると
「呼び捨てはいけません」
と強い口調で叱りつけ、
名前の言い直しを命じた。
僕も当時、
自分の名前を呼び捨てにされると
ぶっきらぼうな感じでいい気分が
しなかったから、
担任の先生の言うことは
至極正論だと思っていた。
▼さんづけと人生
小学校高学年になると
男性の先生が担任となり、
その時初めて学校内で
名前を呼び捨てにされる
経験をした。
はじめは戸惑ったが、
学年が上がるとはこういうことだ、
と特に気に留めることはなかった。
以降、
中学、高校、大学、
さらに社会人になり、
僕はある一つの事実に気が付いた。
例え親しい間柄であっても
名前の呼び方は
人により実に様々であると。
それこそ同じ年で
仕事上の関係も一切ない仲で
「さん付け」をする親しい友人もいれば
特段仲が良いとも感じていないのに
呼び捨てにする知人。
何れにせよ今となっては
「ちゃん」だろうが
「くん」だろうが
「さん」だろうが、
呼び捨てだろうが、
僕にとってはどうでもいいこと。
もし相手のことを
“家族のような仲間”と思うなら
呼称云々以前に
その思いをしっかり伝えることの方が
ずっと大事だ。