ドッジボールと人生 | ワクワク人生研究所所長 小未来のブログ

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ワクワク人生研究所所長・兼実験室室長、小未来のブログ

ドッジボールと人生

20160126



米国では

1990年代終わりごろから、


校内でのドッジボールを禁止したり、

体育の授業から外す学校が

出てきている。


※Yahoo 個人 スポーツより



▼たった一部の学区から

テキサス州オースティンの学校区

ここが全米で初めて

ドッジボールを禁止した学区

かもしれない-


そんな記事が

2001年5月6日付の

ニューヨークタイムズ紙に

掲載された。


同時に、

別の州の複数の学校区でも

校内でのドッジボールを禁止したり、

制限たりしていることを

同記事では伝えている。



▼いじめ懸念

「人間をターゲットにする

 ドッジボールは、

 いじめをなくそうという

 学校教育の方針に合わない」

という理由からだと言う。


同じ人をターゲットに

強いボールを投げるのであれば、

いじめに相当すると言える。


さらには銃社会にあり、

銃乱射事件への配慮の意味から

子どもへの教育強化の意味も込めて

禁止事例を増やしていく。


何れにせよ僕からすれば

全てがもはや別次元の話だ。



▼いじめというか、拷問。

「人にボールを当てる」

その時点で、既に僕の中では

「ありえない」スポーツだった。


だから、体育のような

強制参加にならざるを得ない

場面では、ただひたすら、

逃げる、のみ。


ましてや

ボールを手にすることなんて

全くもって、論外。


そうして陣地内で

必死に逃げ回った挙句、こぼれ玉が

臀部側面や顔面側頭部を捉えれば


情けなさとやるせなさで

さらにこのスポーツへの

嫌悪感を増大させる-



▼いくらゲームとは言え

人めがけて

何かを投げつけるって、


どう考えたって、狂っている。


いや、特定のスポーツなら

全く問題ない。


それこそ数多ある格闘技のように

力や技の競い合いであれば

スポーツとして成り立つ。


けど、複数人数から

特定の人に狙いを定めて

ボールを投げる-


大人である今の自分なら

「遊び」と割り切る前提が

通用するが


「友達」と呼べるクラスメートが

存在しない当時、


ドッジボールの時間は

僕にとって生き地獄以外の

何物でもなかった…