批判から見えるもの
今朝、ビジネスメルマガのほうに書いた記事ですが、
とても反響が大きかったのと
こちらに書くような内容だったな~
と思い、転載します。
↓
地震発生から10日が過ぎました。
津波や原発事故などが重なり大惨事となったわけです。
この間、様々な発信やそれに対する批判を目にしてきました。
本当に自分の心に素直に行動していれば
他の人のどんな決断も尊重できると思うのだけれど。
心のどこかで「すべきだから」などという理由で
素直な気持ちを押し殺して判断していると
誰かの決断に批判的になるのだと私は思います。
友人があるMLにこう書いていました。
とても共感したので、抜粋します。
--ここから--
今回の地震の様な大きな事件が起こると
色々な方々がそれぞれ違った立場から発言をされ,
それに対して私たちは,共感したり反感を覚えたりします。
今回は地震と津波に加えて原発の事故。
マスコミでは繰り返し流される情報と
知りたいのに流されない情報があります。
ネットなどでデマ情報を流す人。
詐欺。
ボランティアに行く人。
チャリティーをする人。
義援金を送る人。
買占めに走る人。
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この様な人々を見て共感したり反感を覚えたりします。
セ・リーグ何やってんだと思う人もいるかも知れません。
でも,それらは,全て自分の中にあるもの。
特に反発を感じたりするものの中に自分自身の
受け容れられない部分が潜んでいます。
失言してたたかれて謝罪というのも何件かありましたが,
本当は皆が感じていることの代弁だったのかも知れないと思えたりします。
批判している人も実は何処かで同じことを感じているから反応するのでしょう。
老朽化した福島の原発を稼動させた東電を
赦せないと感じる人は多いかも知れません。
節電している人・義援金を送る人を偉いと思うかも知れません。
東京がヤバいと逃げ出す人を非難する人を正義と感じるかも知れません。
でも,これらは全て感じている人の主観的な価値観に基づいた
判断でしかないのです。
何故あるものを正しいとして,別のものを批判するのでしょう。
そこに或る価値観が存在するからです。
でもその価値観が絶対的に正しいと誰が言えるのでしょう。
こういう大きな事件が起こると皆そのことに目を向けて
色々と自分の意見を言います。
それ自体は善でも悪でもないと私は思っています。
でも,被災していない人にとっては所詮他人事(ひとごと)なのです。
そうでないと若し言い張るのだとしたら,そういう人にお尋ねしたいと思います。
一時,連日報道されていた拉致事件はどうなったのでしょう。
皆,胸を痛めていた筈です。
でも,今は忘れていませんか。
当事者を除けば殆んどの人が。
でも問題は解決していませんよね。
外国では,食べるものがなくて死んでいく人々が沢山いることを
知っている筈のあなたが,その人たちにどんな関わりを持っているでしょう。
所詮他人事なんですね。
ことの善悪を言いたくて書いているのではないです。
色々な事象に目を向ける時に,
そこに映っている自分自身の姿に気付くことで,
今よりももっと楽しく生きられる可能性があるとお伝えしたいのです。
他人を批判する前にその気持ちが湧き上がる源に目を向けたら
今より自分自身といい関係が作れる可能性があるのですから。
こういう事件の時にお祭り騒ぎがあり,
やがて忘れられていくということを何度も体験して,
そういう現象に対しての怒りの様なものをたぶん私自身が感じているので,
この文章を書いています。
それは誰かに対するものではなく,そういう風潮に対するものだろうと感じています。
皆生まれた時には持っていた筈です。
いるだけで周りを笑顔にしてしまう力を。
どうして失ってしまったのでしょう。
そのことを考える機会かも知れません。
どうしたら取り戻せるのでしょう。
その答えを見付けられる時なのかも知れません。
あなたが笑顔になる為というよりはあなたがいるだけで周りが笑顔になれる為に。
この文章がそのことを考えるきっかけになったら嬉しいです。
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■今日のまとめ
・自分の心に素直に決断すれば 自分とは違う人の決断も尊重できる。
・批判の気持ちは、自分が認めたくない心の現れ。
・こういう時は本当の自分を見るチャンスである。
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日本プラウドフォスター
代表 星 寿美
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