雨に煙る九月の深夜、栗の大木が茂る墓地に、禿頭の男がシャベルとカンテラを持って現れた。彼の目的は墓荒らしだ。彼はカンテラの光をたよりにして、つい最近死者が葬られた墓を目指した。その新しい碑銘にはMとだけ刻まれていた、男はその名前を確認すると土饅頭をシャベルで掘り返し始めた。九月になってもまだ残る暑気は、合羽姿の男の肌をじっとりと濡らした。この墓あらしの男の名はイスマイルという。彼がいま暴こうとしている墓の主はミランダ、彼女は一昨日事故死した女だった。彼女は公園の噴水で溺死した、黒猫に突き落とされて。

「驚きましたよ、なにしろ深さが20cmにも満たない噴水で溺れる人間がいるなんてね。わたしは最初なにかの冗談だと思ったんです、だから助けようなんて気にはならなかったんだ。ところがどうしたものか動かなくなっちまってね、大丈夫かなって思って触ってみたんです。そしたらこと切れていたんです。」

「猫ですよ、あの黒猫、きっと悪魔の化身かなにかね。あの女のひと傘をさして噴水の水面を見てたんです。そのとき突然あいつが、まるで空から降ってきたみたいに現れたのよ。そしてあのひとに首に飛びついたの、この世のものとも思えない鳴き声をあげて、ギャーって気味悪いったらなかった。そうしたらあのひと噴水に落ちてもがいてるんです、けど水なんてそんなになかったからまさか、でも動かなくなって。わたし救急車を呼んだんです。」

「最善は尽くしました、なにしろそれが職務ですから。蘇生法を何度もためしたんですが、心停止で遅かったんです。不審な点はありません。ただ搬送中に彼女、いちどむっくりと起き上がりましたよ、よくある反射作用なんです。慣れっこですから気にもかけませんでした。」

「死因は溺死です。肺に大量の水が入っていましたからね。それと首に引っかき傷、目撃者によると猫だということですが、明らかに人間の爪によるものなんです。まあしかし傷は死因とはまったく関係ないですな。」

イスマイルが小一時間ほど掘り進んだところで、ようやく棺桶にシャベルの当たる音がした、もうすぐ目的の物が手に入るのだが彼にはなんの感慨もなかった。なにしろ彼がこうして墓あばきをするのも今日で75648123561回目のことだ。前回掘ったのがおおよそ五十年ほど前、そのときは第二次大戦の最中で人々は自分の命のことばかりで墓嵐のことなど誰も気に止めるものなどいなかったのだった。とはいえ初めて彼が墓をあばいた時から誰かに見咎められたことなど、一度としてありはしなかったのだが。

もうかれこれイスマイルは2000年このかた墓を掘り返している、彼はもう自分が幾つになるのかとうの昔に忘れてしまっていたし興味も失っていた。なぜなら彼は呪いを受けていたからだ、永遠の生命という呪いをイエズスそのひとから与えられたのだ。呪いはとけそうにもない、尽きることのない命は重荷以外の何物でもなく、いまやかれはイエズスの罰の真意を知っていた。

彼が死人を盗むのは、ひとつは自身の不死にたいする慰めであり、またひとつには義務でもあった。イエズスはイスマイルが彼の呪いからのがれる道を示してあった、それは彼が人間のなす善行を目にすることがあれば、永劫の生から解き放たれるというものであった。そのためイエズスはかれに二人の天使をまで使わした、こうしてイスマイルはこれらの天使たちと2000年ものあいだ「よきおこない」の目撃者たらんとしてきたのだった。彼がいま掘り返しているのは噴水で溺れ死にした女であるが彼女の正体は天使なのだ、御使いはこのようにして彼を助け続けたのだが、いまだ人間の善意とやらは埋もれたままである。お察しのとおり黒猫もまた天の御使い、彼は栗の木の枝で眠りこけている。

イエズスはこの成り行きに失望していた、神の慈愛にむくいる人間の善行の現れはかならずやおこると信じたにも関わらず、イスマイルはこうしてまだ生き地獄のような生命を保っているのだから。

さまよえるユダヤびとは乙女と猫を供にきょうもまた地をさまよう。