どうしてわたしが絵を描き始めたか?

それはおそらく小学三年生かそこらの夏、母の実家に追い立てられ自然児として暮らすある日のこと、ふらりと一人の着物姿爺さんが現れた。いまから四十年ほども前の北海道東部の開拓集落の話、もちろん車なんてものは乗合バスだけ、あとは農家が所有する労働馬に引かせる馬車くらいなもので、人は江戸の昔と変わらず徒歩での移動がもっぱらでした。母の実家は駅のある町からは10kmほどもあったでしょうか、近在の酪農家との距離もちかくて1kmほどはある。そんな野中の一軒屋に現れた男は、今思えばなにやら寒山拾得を彷彿させるような、まさに時代劇から飛び出してきたような風体で、どうやら旅の者らしく祖父母に一夜の宿を乞うたようでした。人情の厚薄には関係なく、よほど見るからの悪人でもないかぎり、一宿一飯の情けをかけるのがあたりまえだったようで男も祖父の家で一夜を過ごしたのでした。さてその翌日、一夜の恩義に礼にと男が懐中より取り出したのは、絵筆一式でした。わたしは旅の絵描きだから昨夜の感謝に一幅の絵を描いて進ぜよう言うかれに、祖父が半紙をの差し出すと、男はすらすらと牝牛の姿を描いたのでした。男はその絵を残すと、現れたときと同様ふらりと去っていきました。海沿いの集落まではまだ10kmほどもあったでしょうか。その男の辞した後で祖父母はその絵をまじまじと見ながら、こう言ったものです「こりゃずいぶんなやせ牛だ」。ふたり笑い顔でその絵を壁に貼り付け、しばらくの間そのやせ牛は囲炉裏の煙にくすんだ壁に棲んでいたようでした。絵師の美的な表現も、現実の生産性から見ると、どうやら失格のようでした。

この思い出は永いこと忘れていたのですが、ある時ふいに甦っていらい記憶に留まっています。漂白の男の、その気楽な誠に仙人のようなありさまが、たった数十年ほど前のこの国にあったかと思うと、いつもなにやらアラビアンナイトの絵巻物語をみたような不思議な気になるのです。このささいな体験がひょっとすると、今のわたしの生き方に多少とも影響しているのかどうか、少なくとも下手な絵を描いていることには違いないのですがね。