ちいさな幸せというものは、すぐさまわすれてしまう。

だから消えてしまわないように、書きとどめておこう。

夕暮れの雪の舞い散る街を歩いていたら、交差点でふと眼が止まったひとがいた。

亜麻色の髪に紺碧の瞳、さほどに若くはないが綺麗なご婦人です。

するとその彼女わたしをめがけてやってくるではないですか、

周囲にはいくらもひとがいて信号待ちをしているのに。

「すみません」とその美貌のひとは綺麗な日本語で問いかけてきました、

彼女は道を知りたかったのです。

ふたりは雪の中、地図とにらめっこで話したのです。

わたしは彼女と同じように、「習った日本語」で教えてあげました。

そしてわたしたちは挨拶を交わして別れたのです、それだけのこと。

ありふれた平凡な日常、これがどうして幸せなのか?

わたしは普段絵に描いているのは写真モデルばかりです。

そのわたしが、自分の描いた絵のモデルと実際に会話することなど、

ピグマリオンを空想することがあっても、

現実にそんなことなどと思っていました。

ところがそのご婦人の面影はどことなし、

今日の色鉛筆のひとのような感じを抱かせてくれたのです。

もちろん瓜二つではありません、けどなにやらわたしは

幸福感を味わうことができたのです。

ほんの五分ほどのふれあいでしたが、

神様の気まぐれを感じとることができたのです。

いそがしい神様も、ときにはこんなふうにして幸せを分け与えてくれるのです。

ただしよほど注意していないと、

気づかずに過ごしてしまうものですなのです。

良き日の夕べに。