昨日ある男性と話してたら、その人の欲しい環境はまさに私が手にしているものだった。昨日だけではない、これまでに何人もの人から同じものを欲しがっているという話を聞いたことがある。
私もいつの間にか手に入れていたので何をどうしたら手に入るといった再現性のある方法はない。
一人では出来ないことだし、
それをする背景のようなものも必要。
これは「私、持ってます」と悦に入る話ではなく、この世界は絶妙に足りたくて絶妙にある世界なんだなとつくづく思う。
そしてもうひとつ、私たちは背景を欲しがってることに気付かず、それを手にするために自分を変えようとする。
吉本新喜劇のような劇を思い出してみるとよく分かる。欲しいのは「こんな状況にいてこんな風にしている私」だ。だけど、現実の社会ではその背景の変え方が分からないから役者本人が自己啓発に取り組むし筋トレもする。それはもちろん悪いことではない。
それも自分を高めるためには必要だけど、本当に欲しいものを手にする方法としては少しズレる。
勉強をすれば理想の職業に就ける、筋トレすればビューティコンテストで受賞するといった少しのズレだから気付きにくいけど。手段が目的化してるというやつ。
そして、これまたお金とも関わってくるので複雑だ。お金があるからと言って手に入るわけではないけれど、なかったらもちろん背景のセッティングが出来ないからだ。
そして、私はと言うと手にいたから失うという恐れも同時に抱えている。死ぬ時は経験という思い出以外は全部ここに置いていかなければならない。こんなに寂しいことはない。劇の後の片付けをするみたいな感じで「はい、おしまい」という日が来る。
とは言え悲観的にならず、
今日も楽しく過ごしましょう。
皆様も素敵な日曜日を♡
※再現性はないと書いたけれどあるとすれば宇宙の法則を知ることと意識の使い方。本来の自分の居場所を知り繋がることだと思う。