あらんです。

今日も、命をテーマに、書いていきます。

父は昭和7年生まれで、田舎の農業、漁業と兼業とする本家の長男として生まれ、兄弟姉妹と昔は、多かったですからね、、日本の成長期を支えてきた年代で、けっこう厳しくもありました。

母に先立たれてからは、お寺の役員?みたいな事熱心になって、、まぁ、でもさびしかったに違いない、そう感じる事は、よくありました。

2016年の3月末、実家に行くと体調が悪く寝てる父に、胃薬飲ませ、兄に相談し、翌日病院へ。

それからしばらくして、末期の胃がんに、肝臓に転移が、分かるんだけど、

その3ヶ月前の12月に、愛息子同然の愛犬ごろちゃん、が、転移した肺がんで、12歳で亡くなったばかりだったので、

なんか、気が休むまも、ないなぁ、

悲しいやら、心配やら、

そんな中、痴呆が、少しずつ出て来てた父は、色々と、治療制限が出て来て、4月初旬に入院したばかりに、宣告された、余命は、あっという間に、短くなり、別れまでのスピードは、早く、あっという間だった。

亡くなる2週間前くらいから、病院に緩和ケア病棟施設が、隣接してる病院に転院。

母の最期の時は、、自宅を本人が、希望したのもあり、在宅介護、医療だった為、タイミング悪く、誰も、その別れの時に、そばに居なかった、、

看取る事が出来なかった。

その事を凄く、心残り、後悔してたので、、

父の時は、しっかり、そばにいてあげたい、そう思い、最期までの1週間は、病室に泊まりを続けた、

緩和ケア病棟には、家族用に、お風呂もあったので、家で、ワンちゃんたちのお世話終わらせ、バタバタ病棟行き、お風呂入らせてもらい、そろそろ、ヤバい頃は、髪も病室の中で、乾かしながら、できる限り、父のそばにいた。

身内、皆できる限り、頑張った、孫や、私達に、見守る中、静かに眠るように、父は息をひきとった。

看取る事が、出来た。

悲しさと同時に、やり遂げた感もあったけど、、

その年の父の日に亡くなった父に、何かしてあげる事はないか?思い、お葬式には、別れの言葉として、父の日のプレゼントとして、手紙も読んで、幼い頃の思い出も伝えたけど、

本当は、感謝を、伝えたい思い出はいっぱいある。

父が、亡くなる1年くらい前に、私は、めまいと低血糖で、救急車で、運ばれてしまった。

入院は必要なかったので、翌日は、自宅で、療養してた。

実家から、当時の私の住んでたアパートは、車で、10分ちょっとだったが、頭が、ぼーとしたり、足が弱ってた父には、車で、くるのも自信がない、とか話してた父だったのに、

必死な顔して、3階までの階段昇ってきたせいか、息はあがっていた、


玄関先で、、大丈夫か!、病院代持ってたんか!、と私に二万円、渡す父。

当時の私は、経済的に大変だったから、、今もたいして変わらないですが、(笑)

そんな私を心配して、必死に夢中になってきた父に、びっくりと感謝で。

あー、こうやって書いてる今、(涙)が、溢れてきます。

今、そんな事振り返りながら、父を偲ぶ。

多少は、供養になってるかな。

次回は、又命を、テーマに、姉の事書いてみます。

長文お付き合いありがとうございました。

あらん。