私のパート先での業務は

主にパンの販売だけれど

その製造元は福祉施設だ。

知的障がいを持った利用者さんと

一緒にお仕事をすることもある。

 

私はいちパート従業員で

研修は受けているものの

専門学校などで福祉を学んだわけではない。

利用者さんと密に関わる業務も少ない。

福祉職の苦労や

難しさの本質を理解できてはいないと思う。

 

だけど

知的障がい者の方と接することへの

抵抗は最初からあまりなかったし

 

「一人一人が違っていて当然」

「それぞれの得意不得意や

特性に合わせていく」

という価値観が

当たり前に存在しているということに

何となく心地よさのようなものを

感じている。

 

幼稚園の頃友達だった

「まりちゃん」という子がいた。

当時の私は気づいていなかったけれど

彼女も何かしらの知的障がいがあったらしい。

喋り方がちょっと特別だなあ

くらいの認識だった。

 

あと気づいていたのは

他の子がまりちゃんを避けていたこと。

(まりちゃんから私を引き離そうとする子もいた)

何でだろ?と思いながら

私はまりちゃんと普通に遊んでいた。

 

まりちゃんは自分の名前を

既に漢字で書けていたので

すごいなあ、お姉さんだな

と感じていたのを覚えている。

 

何よりまりちゃんが

私のことを大好きで

一緒にいてくれているのだと

伝わってきたので

私も楽しかった。

 

もう少し大きくなってから

母からまりちゃんのお母さんの話を聞いた。

 

まりちゃんのお母さんは、私の母に

「一緒に遊んでくれてありがとう」と

お礼を言いにきてくれたそうだ。

なかなか友達ができなかったところに

私が友達になってくれて

お母さんもすごく嬉しかったらしい。

 

まりちゃんとは小学校が違ったので

その後会わなくなってしまった。

どうしているかな、と時々思い出す。

 

私が勤めているような施設で

元気にやっているだろうか。

どんな特性だったかわからないけれど

体は丈夫なのだろうか。

 

先日受けた研修で

福祉とは「幸せに生きること」

という意味があると教えてもらった。

何となく業種の名称だと思い込んでいたので

意外だった。

 

自分についての

重大な決断を下すことも難しく

他者に委ねたり頼ったりしなければ

ならない特性を持つ方もいる。

 

私でさえ

「自分は本当はどうしたいのだろう?」

という問いに容易には答えられないことがある。

 

ましてや他者の幸せのために

何ができるか?

なんて、本当にわからない。

 

 

あの時まりちゃんと

まりちゃんのお母さんが喜んでくれたように

私がただ自然にしていることで

誰かを喜ばせることもあるのだとしたら

もっともっと

自分が心底やりたいことを

やっていきたいと思うし

 

縁あって巡り合った

今の仕事も

できるかぎり力を尽くしていきたい。