今年の春、とあるご縁で出会った学生さんに
イラストや創作についてお話しする機会をいただいた。


描いたものを見せてもらったり、お絵描きアプリの使い方について話しながら
同じ歳の頃、私が同じように悩んでいたことが思い出された。

 

線がうまく引けない
思うように描けない
上手な人と比べてしまう

 

わかる。わかりすぎて泣きそうだった。

 

子供の頃の将来の夢は「絵描き」だった。
小学校高学年の頃には漫画セットを買ってもらって
見ようみまねでつけペンを使ってみたり、トーンを貼ったりして楽しんでいた。
中学1年の時、お年玉でペンタブレットを買って
デジタルでイラストを描くことに夢中になった。


大学受験では美大に入りたくて絵を習って
無事合格してアニメーションを学んだ。
課題制作は真面目にやっていたからちゃんと卒業できたし成績も良かったけど
自分はアニメーターにはなれないと悟った。
理にかなった絵が、絶望的に描けない。
いわゆる「誰が見てもうまい絵」が描けない。
一年生の頃教授に
「アニメーションは物理だよ。理屈で描くんだよ。」
と言われてわからなかった意味が、卒業する頃には痛いほど沁みていた。
私の中には皆無の素養だった。


アニメの「仕上げ(着彩のみ行う工程)」を請け負う会社に入って勤めたものの
噂に違わぬハードワークで体調を崩して2年足らずで辞めた。
その後も色々試行錯誤をしたけれど結局
子供の頃に思い描いていた「作家として食べる」ことは、叶っていない。

 

しかし、そんな私が唯一「満足してやり遂げられた」と感じていることがある。
とある作品で、人生で最も夢中になったキャラクターの
二次創作同人誌を完成させたことだ。

ホームページやイラスト投稿サイトに作品をUPし続けて十数年
いわゆる「大手」には程遠い日陰の存在であり続けている。
本も数冊作ったが、毎回20〜30部程度の弱小サークルである。
(今思うとそれを手に取って下さった方々への感謝しかないけれども
一般的な「数」の話)

 

しかしそのことに不満や不足を感じたことはほとんどない。
人と比べて落ち込むことが全くなかったわけではないけれど
それ以上に「推しとその推しが存在する世界を描くこと」に全身全霊をかけていた。
どんなに拙くとも、「自分で描き出すこと」に価値を見出していた。
その時々で、持てる限りの力を総動員して作品を作った。

 

その他にも、誰に見せるでもない推しの絵を情熱の溢れるままに無数に描いた。
10年弱、私は手の届かない存在に魂を売っていた。
狂気の沙汰だったとしか言いようがない。

 

ある時ふと気がついた
「私、自分の描く推しが一番好きだな」
相変わらず「格好いい」「映える」とは無縁の、不器用で無骨な絵。
しかし、そこに推しが確かに存在していると感じられた。
愛してやまない存在を、説得力を持って描き出せていると気がついた。
(ありがたいことにいただいたご感想の中にも
「存在感を感じられる」とのお言葉をいくつもいただきました)

 

間違いなく最高傑作の一冊を完成させられた。
その満足感は、どんなに言葉を尽くしても表現できない。

 

小学生の頃遊び半分で学んだ漫画の描き方と
中学から就職に至るまでいじり続けたデジタルツールの使い方と
美大で学んだ映像制作その他の知識
真面目に課題に取り組んだことで得た「完成させる」力

 

ここまでやってきた全てがこの一冊に凝縮しているとわかって
私は感動して泣いた・・・りはしない。
脱力した。


完成させた時点で大満足だったのでいつもの倍の数刷ったのだけど、
頒布できたのは発行から1年後の時点で半分。
数の面だけ見ると以前と変わらない。

ここまでやって出した「目に見える結果」は
大赤字の同人誌。

 

頭はうるさい。
半生かけて学んで親にもお金かけてもらって
得たものって、それなん!!?

 

だけど心に意識を向けるとそこには幸福感と感謝しかなかった。
数字のことは本当に心底どうでも良かった。
「幸せは感じるもの」って
そう言うことなんだろうなあと思う。

 

で、最初に戻る。

 

イラストのお話をさせてもらった学生さんの疑問に答えられて
描き初めの頃の気持ちが痛いほどわかるのは
そのほとんどを「乗り越えてきた」実績があるからなのだろう。
客観的に見たら、数字だけ見たら、パート主婦として生きてる姿だけ見たら
創作に関する実績があるとは言えないかもしれない。

 

だけど、絵を描き始めたばかりの人や、全く描いてこなかった人から見たら
私もちゃんと「積んできた」腕を持っているんだと、気がついた。

 

嬉しかった。

私は上手くいかなかったんだ
向いてなかったんだ
学んだことを無駄にしてしまったんだ
途中で諦めてしまったんだ…

それが思い込みだったということにも気がついた。

目に見える結果につながらなくても
腕一本で食べて行くことができなくても
それでも完全にやめてしまうことはなかったし
細々とここまで繋いできたものは確かにある。

今は、SNSで世界中の描き手さんの作品を見ることができる。
画力の高い人、センスの良い人、本当にたくさんいる。
こんなに上手い人が沢山いるのに、自分が描く意味あるのかなあって思うかもしれない。

だけど、自分の見ている推しは自分だけの推しで
その推しを描き出せるのは自分しかいないのだ。
推しに限らず全てのものがそうだと思う。

 

周りと比べてしまう時は、誰の作品も見ないで、

自分の手元と心の中だけ見ても良いと思う。

 

好きだなという気持ち
描き出すことの面白さや難しさに没頭する楽しさ
必ず自分の中にある。

 

同じような想いを持つ人に届けばいいなと思い書き記しました。