これは私の勝手な考えだから、理解してもらいたいとは思いません。


 いろいろあるのは神様の試験


いろいろな事が起こります。今も通勤電車の私の隣に横柄に肘で私を押し、スマホで漫画を読んでいる40代ぐらいの男がいます。


いろいろな時不快な時も、逆に調子に乗りそうな時も、気づかず人を傷つけていたときも、自分は試されている神様の試験だと思います。


あーこういうことをやられたら嫌なんだとわかり、自分はやらないようにしようと思います。


 大きな理不尽は何を教えているか

あまりに理不尽な目にあう時は、冷静に自分の思いは大事にするが、自分はしないと覚悟するときだと思っています。


今朝のニュースで天橋立の股覗きをしている人が、冗談かなにかわからないけど崖から突き落とされ15メートル下に転落したと報じられました。固定カメラのその時の映像では突き落とした人は冗談まじりのように見えました。大変なことです。


そういう被害にあったとき、それに意味はあるのでしょうか。私はこの怖い映像を見て、自分は絶対にそういう冗談をしないと心に決めました。


突き落とされた方がどうなったかニュースではわかりませんでしたが、どうか回復されることを願います。突き落とした人はそういうことをこれからしない人間になるきっかけにしてほしいと思います。


こういうことを書くのも、私自身、以前に暴走する電動自転車に後ろから追突され、大怪我をしたことがあるからです。大きな力で危害を受ければこんなに人間は脆いのかと救急車の中で思いました。


そして、引き続き命があることに感謝しました。私は自転車を乗る時は細心の注意をしています。こういう経験を何度か繰り返すなかで、自分は生かされていると思うようになりました。


 ひどい目にあったら自分はしないと決めるとき


辛い経験をしたら、それは何かを自分に与えてくれていると考えます。ひどいことを自分はしないととらえています。


今日は心のメモでした。




読んでいただいた方、ありがとうございます。