子どもの心身の成長を支えるもののひとつに、本の世界があると思います。
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小6長男が、夏休みの自由研究で【炎の研究】をすると、父さんと話していたことまでは知っていたのですが、その後の進捗はかなり怪しいと予想していて、
「どうなった?」と聞いたら、
「やってるよ」と長男。
「もともとの疑問は何だっけ?どこまで調べてみた?」と聞いたら、
「だから、炎についてだよ(メンドウな質問するなあという反応とともに)。ネットで調べたら『いろいろ』載ってる」と、
続けて、ぜんぶネットに載ってるから(大丈夫、すぐ終わるから・・のニュアンス)と言う・・・
分かったつもり、調べたつもりになってるから、嗚呼・・・苦笑
あるあるです。
でも、そんな感覚は確かにあるかもしれませんね。
わざわざ「研究」しなくても、どこかに(ネットに)書いてあるから、それを綺麗にまとめたら立派な「自由研究」に仕上がるような。
自分専用のipadが配布される時代、ググればすぐ分かる。??
小6、長男用に童話館から配本された本:「きみの町で(重松清)」。
長男は好きだろうなと思って促したら、図星で、はまり込んで読んでいました。
私も後日、読んで場面場面で涙があふれてきた書。お勧めです。哲学。
「この前、読んだ本に書いてあったね?生きていたら、ネットにも、ググってもどこにも答え(正解)がないことがたくさんあるって。それでも、何でもネットに載ってるって、そう思う?」と聞いてみました。
「載ってない」とボソリと長男。
「正解のないテーマ、でも自分の中で疑問に思うこと、あれは何でだろう、どうしてだろうって、考えてみよう?良し悪しはないから、気になることを出してみようか」と促しました。
ううううううんんんんんん、、、、と難しそうにしていました。
疑問を持つって訓練なのですね。
自分にとっては当たり前すぎて「疑問」に至らないことがあります。
ある意味、恵まれた環境に生きています。
でも、人は問われて、考えます。
書いたり言ってみることで鍛えられます。
その後、彼らしく、逃げずに考え始めました。そういう性格と分かっていたので、ちょっと厳しく問い詰めたりもしました。
いろいろ考えて調べたりして、今朝、「読みたい本がある」と彼。
炎の研究とはまったく違う内容のものでしたが、彼自身が読みたいと言い出してきた本は、彼の中にずっと秘めているテーマ(と、私が推察している)と合致。
早速、その2冊を注文。
それなりに難しい本なので、読めるかは分からないけれど、どんな風に考えを進めていけるかと、私も良き話者になるよう努めます。こちらも相当、鍛えられます。
正解はないよ、でも、今の自分なりの答えを探せたらいいねと話しました。
週末のたこ焼きパーティー。作ってみたい!と長男と次男が挑戦しました。
3人が3人ともまるで違うキャラ。当然。
なので、間違っても、『子どもすべてが有名○○大学に入学!」みたいな教育ママさんの話は、ものすごく強烈で、びっくりで、ある意味面白いのだけど
(実際、お話が上手で本当に面白い!)、んん-ーーーーあり得ない!
ロボット育成みたいで親の強烈なコピペみたいで。
子に幸あれ。笑顔たくさん。心身元気に。しなやかに強く。

