何のために結婚するの?と聞かれたら、

自分と違う別人格の個人との生活を通して、

自己を成長させるため。


うむー、、、ちょっと堅苦しいけれど、そういうこと。です!

 


法的手続きを経てパートナーになるという「覚悟」は、同居、同棲ともちょっと違う重みが。

、、、結婚後の「夫婦同姓」の議論は、姓は、各自が好きなように選べる社会を断然、希望。

個人の思いに柔軟に対応すべきで、姓が違うと家族の絆が云々という議論は説得力のない言い訳に過ぎません、、、

 

 

自分の成長のために必要な人がパートナーとなり(失敗はあっても、それが学び!)、

自己成長に必要なメンバーが子となって構成されます。はい。

子どもがいないなら、その意味がある。確かにある。本当にそう、ただそれだけと思っています。


スピリチュアルの本にもそのようなことが書かれているような気がしますが、その類いの文章に出会う前から、実体験としてそう確信しています。

 

学者なら、もっとエビデンスをもとに!と言われそうですが、実体験、直感が当たることも多々、あります。よー。

 


今の私があるのは、あの親で、あの環境で、あの状況があったから。

そして、今の私を築いているのは、この家族(基地)ゆえ。

 


夫婦で議論をしましょう、家族でたくさん(無駄話も含めて)話しましょう、違う人間同士が、日々の対話・調整なしに、生活はhappyには続きません。


社会が、経済が大きく変化し、人も当然変わらざるを得ないのに、過去や前例に囚われ、誰かの何かの価値観で、世間一般の常識?や考えに右往左往していたら、疲れるだけ。空虚。


どんな生活がしたいか、どんな人生を望むかを、自分自身がしっかり考え、夫婦、親子、家族で、棚卸しして、考えを出し合ってみる。

その望む生活に整えるための努めをする、small stepsを踏む、それだけです。

 


夫婦や家族の絶対的な信頼関係を築くには、やっぱり対話が必須。もう、それでしかない。とも思っています。互いを尊重し、違いに気づき、面白がる。

私自身の古くて堅い頭を解放し、新しい風を取り入れます。



家族という小さな社会の中に私(あなた)の人生のヒントが(課題が)満載。


私というちっぽけな存在に、目の前のパートナーや子どもたちが、日々、言動、行動、態度で、「ほらほら!あのさあ!」って、示しています!



目に見える現象は、私そのもの。


三男坊をとにかくいぢり泣かす次男坊は、かまって欲しいサイン満載。

同じく、中間子の私は、子どもの頃、親に甘えたくても素直にそう言わず、まったく態度にも出しませんで。なかなかのいい子!でしたし、むむ、ひねくれててー。我が家の次男坊はストレートに表現するあたり、なるほど!と感心しきり。

いま、私が次男坊に教えられています。