家で仕事をするためにパソコンを立ち上げ、作業前、ちょっとしたweb記事を斜め読みの、その中に、
外出自粛で家の中に家族が終結する非日常。特に夫婦がいつも以上に顔を合わせることで、喧嘩が増える、離婚だって増えるかもね...
という、半分冗談で、半分本気のような文章に遭遇。
ふむ、、、なるほどーーー
対話から離れた夫婦や家族は、それをとても難しく感じるかもしれません。
クローズドクエスチョンが多くて(YES,NOで答えられるもの)、話しが広がらない。相手がどういう気持ちでいるかを「察する」ばかりでなく、具体的に聞いて、共感、向き合うことって大事です。もちろん、こちらの気持ちもしっかり聞いてもらえたら、心身落ち着くものです。こんなご時世だからこそ。親子、夫婦間で。
夫婦や家族でさえ、
真面目に何かを話そう、伝えようとすると、ちょっと緊張しませんか。?
何てことないお喋りの≪ムダな≫時間がとても大事。相手も好きな何かを一緒にしながらだと話しやすかったり、何より、食卓。あたたかいご飯を皆で食べる時間や、その食後の一時。
いまは外食が厳しいですが、夫婦で、親子で、ちょっと特別なカフェやレストランに出向くだけで、気持ちが変化します。美味しいご飯の前では誰でも優しい笑顔になります。
しかし、対話というけれど、喋り出したサルは扱いが面倒なのですね。
いったん意見を持ち出すと、論駁したくなる。違いますが。
息子たちの交渉話術もかなり高くなってきました(苦笑)。
メンドクサイ民主主義について考えています。
カタチだけの民主主義について考えています。
オトコ社会の民主主義について考えています。
学問も今までにない視点で切り込むこと、大事だなと気づきがたくさんでした。
主流から離れて、外れて見てみる、っていい。私好みだ。
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(気づき:書籍より引用しながら)
自分が思いもよらなかった考えに出あった時、想像もしない角度から自分の世界観や価値観を覆されることは、様々な気づきをもたらすし、刺激に満ちた経験になる。
自分とは違う視点をもつ誰かと思考がクロスする、その繰り返しによって、小さい自分の世界が確実に広がっていく。
自分が正しいと力説して相手を論駁しようとしても得られるものは少なく、粘り強く対話を繰り返すしかない。

