英語を学んでいると、日本語と真逆の言葉なのだということを痛感します。
コミュニケーションの姿勢が全く違う。
いちいち、細かく言わなくてはならない英語と、相手が察してあれこれ言わなくてもいい日本語。英語は「そこまで言わなくてもいいのに、言う?!」というレベルまで、言葉を尽くす言語。
毎日、家事をしながら、TEDを聴いたり、ラジオ英会話を聴いているのですが、ラジオ英会話の先生がそのことを話していて、とっても合点しました。
そう、だから、私が、「夫婦・家族で、もっと議論しようよ!」と言っても、私たちの日本語が「言わなくても察することができる」、「言い過ぎるとどこか違和感もある」言葉を扱う人種なので、議論が、コミュニケーションが、深く進まないのかもしれない...
そういう文化、だからこそ、意識して話す練習を、夫婦・家族ですることはとても大事。意識すること。グローバル社会ならばいっそう、ですね。
日本人的な感覚で、日本語を翻訳した英語を、ただ声に出していればいいのか、というと、ダメだということ、です。
例えば、英語で、
「今度の金曜日、一緒にランチしない?」との誘い。
「ごめーん、その日は、ちょっと無理なのよー、ごめんねー」でOK。
相手が、「そっか、何か用事でもあるんだ、今回は仕方ないな」と想像する。
もちろん、「近々、仕事で重要な会議があってその資料を作成しなくてはならないから、ゆっくりランチで外出できないのよ」と、「いちいち」説明することもあるのだけれど、理由をツラツラ言わなくても、大きな失礼にはならない。個人的な理由・事情をopenにしなくてもいい、というのもあるかもしれません。
でも、英語では、「ごめんねー、無理なの(I’m sorry, I can't)」だけでは、相手は「どうしてだろう?(モヤモヤするなあ、せっかく誘っているのにー。私のこと軽んじてる?)」と思う....。理由をしっかり言うことが強く求められるのです。
↑この説明はラジオ英会話でしていて、すごく納得。
ありがとう、ごめんね、楽しかったよ、嬉しかったよ、という言葉に、ひとこと、ふたこと、ちゃんと理由や想いを添える練習を、日本語でもしていたいなと思いました。でないと、英語を話す時にもでてこないからー(苦笑)。
日常で、細かく言語化することは、「無意識に忘れて」います。夫婦や家族であればなおさら、「言わなくても分かるでしょう!」という気持ちが大きくなっています。
我が家では、男児たちが、脈略もなく突然話しかけてくることがあり、何のことかさっぱり「???」の時が多々ありました。
「はい、ちょっと待ったーー!主語は何ですかーー?初めから順を追って説明してくださーい!」「で、言いたいことは何ですかーー(主張したいことは初めに言う)」と練習してきました(しています)。そう、もちろん、そんな私も、「お母ちゃん、主語は何!」と突っ込みが入ることは、あります(汗)。まだまだです。
言葉って面白い。
日本人だからといって日本語ペラペラではないのです。
この人の言いたいことは何だろう、と分からないこと、あります。
話が長すぎて、話しながら、途中に、「〇まる」がない人、「、点」ばかりで、話しが延々と続くと訳が分からなくなります。
文章を書くことも、しっかり相手に想いを伝えることも、すべて日々の練習の積み重ね。英語学習がどんどん学校現場でも進むのであればなお、英語と日本語はとにかく違うということを意識していたいです。
英語的感覚(具体的に細かく言語化する)で日本語を話すのはアリだなと思うので、意識して子どもたちと、家族の会話でも試していきます!
女子はよくお喋りするんですよね?未知だけど(笑)。
しっかり話せるオトコに育てますよ〜!!
