年齢をひとつ重ねました。

週末も、当日も、家族総出でお祝いしてくれて...幸せです。

なんだか、家族全員にとても大事にされているのが、分かりますヒヨコ

気恥ずかしくてお尻がムズムズしてきます。

 

 

「おばちゃんになったもんだなーー」なんて、(わざと)ぼやくものなら、次男坊から間髪入れずダメ出しが。

 

「気持ちが大事だ。自分がどう思うかが大事だよ。お母ちゃんはおばちゃんじゃないよ!」とDASH!

(*次男坊の言う「おばちゃん」とは「"お祖母ちゃん"よりはちょっと元気な女性」というイメージらしいウインク

 

 

ずっと1月は「家族」のことを考え続けています。(前々からですがね)

(私は【都市政策を深く掘り下げ研究していたら、家族に辿り着いた】、という部分があり、私のライフワークテーマは「家族」です)

 

しかし、ずっと考えていることが全然整理されず、考えれば考えるほど混乱も。

あまりに普通のものだから?身近すぎる?

図式化したり、書籍にヒントを探し求めたり、友だちにそれとなく聞いてみたり。

 

とても大事なことを考えている。

 

とキミハルさんも分かっているから、夫婦議論の際のフィードバックが(いつになく)手厳しいショボーン エンエンと泣いてしまうことも。あるんです。

中途半端にうわべで済まされない(社会の、周囲の)家族を取り巻く状況を話しては、そうはいっても「とても個人的なこと」なので、考える(社会の、研究の)先のビジョンが見え隠れしてしまう。霧に包まれる。

 

いや、正直に言うと、私がビジョンを正視できていない、だけ。

 

 

誕生日に、映画に行きました。

巨匠ケン・ローチ監督の「家族を想うとき Sorry We Missed You」

いったい何と闘えば、家族を幸せにできるの?

家族を守るはずの仕事が、家族を引き裂いていくー

それでも負けない気高く力強い絆を描く感動作...

 

 

 

 

 

 

観ていて気持ち耐えられなくもなりました。

でもそこにある(日本にもある)リアルな家族・生活。

どんな状況でも「家族」を保ちたい、絡まって、時に切れそうな絆をどうしたら元に戻せるかと、4人家族がそれぞれが真摯にぶつかっていきます。

 

 

muumuu.....

 

家族って何だろう。【都市政策を研究していたら、家族に辿り着いた】のに、正視できない私は何だろう。なぜだろう。自分自身の中でもっと浄化しなくちゃならない部分があることもまた、しかと心にした46歳バースデーでした。

 

 

 

長男次男が500円ずつ出し合ってバラの花を買ってきてくれました。
毎月500円のお小遣いをはたいてお花を買ってくれる息子たちに、私の精一杯の、厳しくも強く優しく壮大な(!)愛を注ぎまくろう。