ひどい被害をもたらした台風、

自然災害の怖さに対して、改めて、私たち人間は本当に無力だと痛感させられました。

 

被害にあわれた方々に一日も早く平穏な日々が戻りますようにと願うと同時に、命を落とされた方、その方本人はもちろん、その周囲の方々、家族等の思いを想像すると、「どうして、あの時、まさか、あの時、、」とどれほど悔しいだろうと考えます…

 

 

昨晩は帰宅したキミハルさん珍しく、

 

ダウン嗚呼、疲れたーーーーーダウン

 

 

どうして、危ないっていうのに川を見に行くのかな、

どうして、水嵩が増しているなか避難するのかな、

川の状況はネット(スマホ)で見れるし、見に行くなとあれほど言ったのに、

台風が来る随分前から、大型の危険な台風が来ると、

何度も何度も言っていたのに、

どうして、車で逃げるわけ、、、

 

 

個人が入手できる気象情報の精度はン十年前より格段に良くなり、雨雲の様子も、自分の家の上空がどう変化するかだって分かる時代。

 

これで大丈夫だと思って造った諸々のインフラも、土木工事だって、結局、自然に勝とうとしてもダメで、できるだけ自然に負けないような工夫をしなければならない。

 

川の氾濫や津波等をコンクリートで抑え込むのではなくて、大雨(雨量)を逃がす手段や工夫、命を守るために逃げる賢い判断力を。早めに避難しようと声をかけあう近隣の助け合いは自然と共存共生するためのマナーに違いない。

 

 

いよいよ危ないと危機感をもった時に人はじっとしてられなくなるんじゃないか?

過去に事故や病気等で「死ぬかもしれない」との危機を経験した人は(私や夫)、命を守るための行動に移りやすいのではないか??、、

 

人はいくつか複数のトリガー(引き金、きっかけ)が重ならないと避難する(安全な場所に居る)行動を取れないのかもしれない、と。

 

 

自然災害は昔からあったこと、被害の大きさも昔からひどいものはひどい。

自然災害自体は何も変わってないし、これからも変わらずたびたび私たちを襲ってくるに違いないのだから、だから、どうするのだ。

 

 

人の意識を高め安定に保つトリガーとしての地域コミュニティや支え合いをさらに意識して、まさか間違っても、区民じゃないから避難所に入れませんとか、キャパオーバーだから受け入れられませんというのはまるで論外。

 

互いの命を守り合うために、頑丈な建物のオフィスビルが解放され、頑丈なマンションの方が他者を受け入れ、そういうビルやマンションはそもそもどこにあるの、といった情報もまた必要でしょう?

 

 

我が家周辺は、土地(家)を選ぶ時に、キミハルさんが、ハザードマップはもちろんのこと、昔の土地利用(例えば沼地の埋め立て等があっても、一見分からないこと多し)や可能な限りの口コミを集め、そして、土地そのものの形状や細かい周辺環境を吟味に吟味を重ねて選定しました。

 

 

日本の住宅(事情・政策)は貧相極まりないので、今住んでいる場所のこと、そして、今後、どこに住むかの、オープンな議論も必要だと、思います。

「あなたの、その家の場所、災害時アウトですよ」と、(資産)価値が関係しますか、オープンに言えないですか?「ここは昔しょっちゅう川が氾濫していて地盤も弱い場所ですよ」と言わないのは(知れないのは)なぜでしょう。ね?

 

 

東京一極集中の都市問題、人口過多もまた、次世代のために真剣に議論される必要があります。していきましょうビックリマーク

 

 

次世代の子らのために。