10月ですね!(日中は暑いです...)
出かけた先々で、消費税10%の話題になり、我が家には保育料の変更通知が届いていたことと合わせて、どんなお金(税金)の使い方をするのか、、、ますます、国も、そして私たちも、思慮深くありたいです。
お金は、たくさん持ってても大変だなあ〜、無いのはもちろん大変なんだけど、、と思うモノ。
私見では、お金にあまり余裕がない時の方が、生きる感性が研ぎ澄まされ、洗練され、良いパワーもパフォーマンスにも繋がることが、多いです。い、いえ、もちろん、危機管理としてもあるにこしたことはないのですが、ね。様々なチャレンジや経験ができる故。
ただ周りを見ると、お金に十分な余裕がある人は、ボンヤリ使っているように見えます。何を買う、何に使う、という思考を深めずとも買える、使えるというのは、「賢い消費者/生活者」に非ず。お金が生きてない。どうでしょう?
何のために、どれだけの額が必要だと確かに見通せた時、お金は準備されます。準備されるよう動くから、でもあります。
だから私は、ココロの奥底から願う、私は何をしたいのか(それにはいくら必要なのか)に、ただフォーカスすればいい、と最近は。
しかし、ところで、モノゴトを損得で考える人、います。
損はしたくない。行動経済学のプロスペクト理論が示すように、人は損をしたくない、という気持ちが強く、利益より損失を重く受け止めるもの、、、らしい。
ヒンメルゼミで取り上げましたが、大学生に長いこと接しているなかで、時々ありますよ、損得勘定の考え。
例えば、
「あの人は講義の終わり来て(遅刻)、出欠表だけは提出して『出席』になっているなんて、ずるい」
「(教員が)出欠を厳密に取ってくれないと、ほぼほぼ出席している自分と欠席ばかりの人と評価に差がないのは、損した気持ちだ」等。
(出欠を成績評価の参考にする。と明言する講義もあります。)
自分と何かを比べて損得。
損をしたくない自分。
何が「損」で何が「得」なのだろう??
モノゴトの評価軸が狭く、生真面目?で、見方、視点がつまらない。
けれど、願わずとも、損得勘定になってしまう理由が確かにあり、もしそういう思考なら、出来るだけ早く手放したい。です。理由はそれなりに掘り下げ、分析する価値はあります。囚われている考えとか、思考のネガティブな癖、気持ちがモヤモヤする部分には、何かが潜んでいる、から。
損得勘定は何より、美しくない。
平和な社会へ。
