今月は夏休みに引き続き、いろいろな方が来宅。

遊びに、お喋りに、そして、コーチングに来てくださいました!

 

「誰かが来るとなると、掃除とかー片付けとかー掃除とかー、気を使ったり、大変じゃない?」と聞かれるのですが、男児が3人いてDASH!、日常風景こそが我が家なのでロケット、飾り立てて気取っても仕方ありません。。。ので。。。それほど「大変」ではありません。

 

楽しく過ごしてもらえたら嬉しい黄色い花

 

でも一番は、特に私や子どもの仲間たち・複数のママさんたちが来た時に、子どもトーク・ママトークの輪にしれっと入って溶け込んでいるキミハルさんのお気楽なところが、いろいろ「大変」にならない理由なのですね。

 

 

複数の家族が集まると、本当にそれぞれ、いろいろなカタチがあって、どの家族も、夫婦も、違う!違う!子育てや教育に関しても、まるで違う。単純に言うなら、とても繊細な方から大雑把な方までニヤリ


夫婦で考えがあまりに違うのを、時に面白く、時にシビアに話す友人たちですが、究極、そこには確かな「愛」があって、ふたり(夫婦)がその愛のクッションをバンバン投げ合っている感じが、とても、いいピンク音符

 

顔色を伺って、話す内容を考えている、でもなく、

私はこう!、貴方はこう!、と意固地になっている、でもなく、

わあわあワアワア言っているそのプロセスに愛がある。

結果的に、「夫婦喧嘩」みたいになりながら、互いの妥協点を見つけ合意に至っていて、そうしたら、実はその家族に新しい「価値観」が生まれている。のです。

 

 

ところで、何度も書いているのですが、家族って、まさか夫婦に血縁の子2人...などの「標準世帯」を想定しているわけではありません。周囲には、離別死別した後のステップファミリーもいるし、事実婚に、国際結婚もあれば、国外の友人には、LGBT家族も。

 

性(別)の話では、じっさい、子どものお友だちに「男の子」で産まれて生活していたのだけど、3-4歳頃から本人にも確かな違和感があり、家族もそれを理解し、いろいろなステップを経て、今は完全に「女の子」として生活している子がいます。

 

我が子たちは、その子を通して、いろいろな「性」というのがあるようだ、と理解しています。大事なことです。


 

先日の新聞記事のように、

家族のカタチは様々に変化しているのに、私たちの意識が(まったく)追い付いていないよね?という現実にも気づかされます。

 

もしか、世界の、地球のはるか上の上から日本を眺めて見たら、この意識の遅れは致命的かもしれない、とさえ。


相手を知ろう。他者とつながろう。想像しよう。

 

新しい時代へ、優しく、ゆるやかに、チェンジしよう。

 


つながった!
ながいながい。つながってるよ!
1歳5ヶ月。