私もキミハルさんも3人きょうだい、我が家も3人子育てをしています。

 

3人というのはちょっとした「社会」です。

私自身の兄弟を見ていても、同じ親から生まれ育てられたのに、ぜんぜん性格は違うし、生き方もまるで違う。

 

だから面白い。子育ては【「個」育て】ですね。

 

 

ミツオ君はまだこれからとはいえ、垣間見える個性がなんとも!

じーーーっと観察する眼力は誰に似たやら(笑、、はい・私です)。

 

 

昨日、小学生2人の個人面談がありました。

 

1年生の次男坊は、学校生活数か月、順調に楽しく登校し、積極的に授業中に発言したり友達と遊んでいる様子。先生からのコメントはまったくの予想通りでニヤリ、彼の態度や言動を聞くにつれ、彼らしい様子に安心もしました。家族の中では、自由極まりない彼の、家とは違う一面なりニヤリ

 

 

長男4年生。3年生の時と同じ先生なので、連続する成長の様子も見てくれています。「非の打ちどころがありませんねグッド!」「かんぺきですね」「言うことは何もありませんね」「僕も将来**君みたいな子どもが欲しいです」。。。

 

先生からの誉めまくりの言葉にひっくり返りそうになりました。

ただ先生が言わんとしていることは理解しました、納得する部分は多々あり、有難く受け止めました。つまりは「子どもらしい・彼らしい」と言うこと。

 

 

周りの様子を見ていて、みんなに優しい

素直でいつもニコニコしている

何でも積極的に、一生懸命に取り組む

(男女の)友だちがたくさんいて皆から好かれている

先生を助けてくれる(みんなをまとめてくれる)

リーダーとなって皆を引っ張ってくれる

べんきょうにまったく問題がない

運動も良くできる

変なプライドがない   等々

 

 

家でも学校でも同じような態度なのだなと思うと、彼らしい。家でも素直でニコニコしていて(兄弟喧嘩は激しいですが!)、優しく、勉強も運動も遊びもとても積極的。公園や児童館、あちこちで友だちを作ってきます、叱られると素直に聞くし、父さんの膝の上にのり甘えたり、私には時々「抱っこして?」と(10歳ですが)。

 

 

それでですね、私は思ったのです。

これは育ち環境の(私たち親の)影響や波及が少しはあるか?と思う以上に、いやいや、先生も仰っていたように「天性のもの」。

 

オギャアと生まれてきた時から、その子が持って生まれた使命、志向、生き方、役割、魂の磨き方ってある、とやっぱり思ったのです。

 

私には確かな信頼のおけるスピリチュアルな分野の友人が数人いるのですが、彼らがいつも言っている、「魂のレベル」を考えます。

 

レベルが高いから良いとか、自分は高いのか低いのか?などと考えているわけではありません。いやはや、高い低いという表現でもないな、、もって生まれた天性の部分が確かにあり、それをちゃんと見てあげなければならないと。自分自身の魂も自分がしっかり見つめることをもまた大事。

 

その役割を親として託されている。子どもたちがどんな成長をするか、どう世の役に立つのか、責任たくさんだね、と夫婦で話しました。

 

子育てという役割、子どもたちとの関係性において、私という個人も、しっかり磨かれなければーーと思います。

 

もはや「子ども」ではなく「ひとりのニンゲン」なのです、たまたま年齢が違う、立場異なる関係なのだけど、対等な個人だ!と確信します。



 イエイ!