息子たちにも馴染みのある、登戸駅(川崎市)周辺で悲しい事件がありました。
関連する親子間の殺傷事件もありました。
先日の朝日新聞(天声人語欄)では、冒頭、
”最近の統計によれば、日本の殺人事件の約5割は、親子間や夫婦間など親族のなかで起きている。そんな事実から、以下のような結論を導けるだろうか。
「家族は、殺人に手を染めかねない犯罪予備軍である」” と。
---むむ
家族、きょうだいとは言え、「他人(別人格)」。
「家族だから」「家族なのに」という表現ではおさまらない感情のマグマがあって、、上記の統計を見聞きしても、周囲を見ても、私自身のあれこれを思い出しても、「家族」のなかで関係が最悪になることは、あります。。。
様々な要因が複雑に絡み合って、どうしても解けない。
互いを尊重し合えない、分かり合えない。・・・ということを社会がもっともっと認めて、そうだよね、とオープンに言わないといけない。
どこかに逃げる場所がある、離れる手段がある、縁を切る選択肢がある、家族とは別の拠り所がある、家族とは離れても自立した生活ができる。
どんな個人も尊重されるべきだし、信頼関係をつくる努力を惜しまずに。
その訓練の場所が、身近な小さな社会である「家族(家庭)」に用意されるはず、だった、のだよね?きっと。
結婚して子どもをもって(親になって)、リアルに「生活」をすればするほど、家族は厄介で、メンドウで、煩わしくて、でも、だからいっそう「場」としては、必要なのだろうと、思います。
家族(人間関係)を通して見えるものがたくさんあります。逃げずにぶつかりながらも、逃げる準備もしながらも、、、
